バナー 九州・山陰周遊旅行
(レール&レンタカー利用)
2001.03/17〜03/20
旅行者 まぶりん麻呂、ちえりん
3/17
 予定外の寿温泉での入浴に時間を割いた為、出発まで余裕がないまま駅前高等温泉に飛び込んで、 昼食用にいちご大福とおはぎとペットボトルのお茶を求め、駅へ急ぐ。大分〜博多間の3/3から登場した 885系白いソニックがホームに滑り 込んで来る。ヨーロッパにも良く似た形の特急があるそうだが、車のデザインと同様に列車にも流行のスタイルがあるのだろうか? 一見すると新幹線0系を近未来的に洗練したといった感じで、JR九州の並々ならぬ意気込みを感じる。ソニック、つばめに続き885系は JR九州を代表する特急になるのは間違いないだろう。

 車内に足を踏み入れると和のイメージが徹底しており、内装にはかなりお金をかけている印象を受けた。 床は市松模様の板貼りで、襖絵に描かれた水墨画を思わせる照明など意表を突く斬新さが光る。 しかしこの列車の最大の売りは総革の豪華なシートである。ヘッドレストはマジックテープで好みの位置に位置を変えられ、 座席の幅、ピッチともはソニックと比較すると各段に広く、グリーン車でなくてもかなり高級感が漂っている。 特筆すべきなのは前席のヘッドレストの後ろにチケットホルダーがあることだ。ソニックのSのロゴマークがおしゃれである。 山陽新幹線レールスターで始まったチケットホルダーを参考にしているのだろう。テーブルは前席の背もたれに格納されておらず 肘掛部分に格納されている。足を組んでも邪魔にならず、かと言っても小さい訳ではない。合成樹脂ではなく木のテーブルが温もりを 感じさせる。車内販売のワゴンが来たので、かねてより楽しみにしていたサントリーの「かぼす酎ハイ」を求める。 ほんのりとかぼすの風味を感じる逸品である。グリーン車の入り口は木製の自動ドアで高級ホテルのエントランスといった風情だ。 洗面室と一体化しているトイレも今までの常識を覆し、デッキの車両中央部の円形のドアを開けて入る構造だったが、 ひょっとするとここがトイレの入り口であることが分からないかもしれない。 途中の停車駅でこまめに先頭車両の撮影を繰り返しながら、一時間足らずの旅はあっけなく終わってしまった。 久々にもっと乗っていたいと感じさせる車両で、魅力溢れる車両造りはJR九州の得意とする所である。

 小倉駅の改札を抜けると北九州モノレールの車両が見え、ちょっとびっくりした。 モノレール駅がJRの駅と直結しているので、利用者にとっては大変便利で乗ってみたい衝動に駆られる。 本来であれば乗り潰しの対象なのだが、今回は門司港レトロ見物が目的なので、機会があればモノレールに乗って小倉競馬場へも行って みたいものだ。リュックサックが邪魔なので、本日の宿小倉東急インに一旦チェックインして身軽になる。 小倉駅から博多発篠栗線・筑豊本線経由の気動車の普通列車で 門司港駅へ向かう。 篠栗線と筑豊本線の一部が近々電化され、博多発の特急が走ることが決定しているので、この列車のスジが特急に使われるかどうか興味深い。

篠栗線電化直前の画像
これらの画像は全て相互リンクしている とらえもん鉄道管理局に帰属します。

 門司港駅構内はたくさんの側線があり、終着駅の雰囲気が色濃く残り個人的にはかなり好きな駅のひとつだ。 かつて門司港は国際貿易港として賑わい、関門連絡船桟橋と門司港駅は地下道で結ばれており、今なお地下道は現存する。 関門トンネル開通後は門司駅(旧大里駅)に玄関口の座を奪われた。しかし普通列車の多くは依然として門司港発着であり、 最近は一部の特急も乗り入れるようになり、観光地としても有名になりつつある。 門司港ホテルに代表される新しい建物と旧大阪商船に代表される古い建物の調和で人気を博している。 門司港レトロと呼ばれるこの都市型観光地は、小樽運河界隈の雰囲気に非常に似ていていかにも若い女性が好きそうな感じだ。 門司港駅は大正3年に建てられた九州最古の木造の駅舎であるが、これには訳がある。 その当時東京駅に代表される様にターミナルは、レンガもしくはコンクリート造りが主流であった。 前述の関門トンネル開通に備え門司港駅(旧門司駅)は、建設コストを削減する為?木造建築になったという説がある。 特筆すべきは鉄道の駅として日本初の重要文化財に指定されたことで、洋風と和風が絶妙に調和した大正ロマンを今に伝える。 門司港駅はローマのテルミニ駅を模していて、長大なホームを眺めているとヨーロッパのターミナルにいる錯覚を覚える。 一階の食堂、待合室、切符売り場には旧字体の看板が掲げられ当時の面影を今に伝えているが、今回久々に訪れてショックだったのは、 自動改札化されたことだ。やはり、時代の流れには逆らえないということか。 トイレには戦時中の貴金属供出を免れた「幸運の手水鉢」、ホームには鹿児島本線の起点を示す「0哩碑」、駅前には 「バナナのたたき売り発祥の地」の碑など見所には事欠かない。

[参考文献]『ふるさとの駅100選』(淡交社)

 門司港付近は以前に比べ新しい建物が目立ったが、古い建物と新しい建物を調和させて行く門司港レトロという計画らしい。 門司港ホテル、高層マンション「レトロハイマート」の31階部分には門司港レトロ展望室、海峡プラザ等のショッピング施設が立ち並び、 旧門司税関を始めとする歴史的建築物が数多く残る門司第一船だまり両岸のレトロ地域を結ぶ遊歩道の一部としてブルーウィングもじ (全国で最大級の歩行者専用のはね橋)がレトロな街並みに新風を吹き込んでいる。 まずは最大の見所である旧大阪商船の2階の展示室へ行き、門司港漫遊マップを入手する。ブルーウィングもじの開橋時間が迫っていた ので、小雨の中急いで撮影へ向かう。10:00から16:00まで1時間おきに20分間観光用に開けているようで、実際に船が行き来する光景 は見られなかった。この橋の完成によりかなり門司港レトロは活性化された。対岸の旧門司税関や国際友好記念図書館への行き来が スムーズに出来る様になり、他にも新しい施設も続々と誕生していた。再び旧大阪商船の2階の展示室で門司港の歴史をじっくり学び、 外に出るとすっかり雨は止んでいた。隣りの旧門司三井倶楽部には和洋レストラン「レストラン三井倶楽部」があり、 丁度ふぐフェアを町全体で行っているようで手軽な料金でふぐ料理が楽しめる様だ。 ここはかのアインシュタインが来福した際に、故郷スイスの建物に似ている為ここに定住したいと言わしめた逸話が残る。 何故か裏手に日本建築の建物が併設されていたが、和洋折衷で日本人、西洋人のゲストに対応したということだろうか? ブルーウィングもじを渡り対岸の旧門司税関内の喫茶室「レトロカフェ」でケーキセットをいただく。 ここはかつて加山雄三も訪れたらしく、色紙が飾ってある。180度港の風景が楽しめ、湘南の葉山あたりの小粋な海辺の喫茶店を思わせる。 税関では麻薬の密輸の手段やブランド品の偽物の展示など興味深いものが多く、かなりの人気を博していた。 2階は展示スペースではカンボジアの風俗を撮影した写真家の展示会が開催されており、思わぬ所で異文化に接することが出来た。 旧門司税関の裏手の国際友好記念図書館は姉妹都市の中国の大連にあった建物を復元したものである。 ここは、文字通り図書館であり二階と三階で旧南満州鉄道と「あじあ号」の資料を閲覧した。 特に感動したのは、旧南満州鉄道でその当時最高水準を誇った「あじあ号」に関する資料だった。 客車を牽引していた世界最大の蒸気機関車パシナの写真、設計図、イラストが紹介されている本をみつけて狂喜した。

[参考文献]門司港レトロ倶楽部

 「あじあ号」は1934年に開通した大連〜新京(現・長春)の約700キロを、最高時速130キロで走り、空調設備も整った当時としては 世界最高水準の列車。終戦後、放置されていたが1980年頃、客車部分のない機関車だけを瀋陽市で日本の鉄道ファンが見つけた。 後日、NHKハイビジョンの世界のSL特集で中国に瀋陽市に一台だけ残るパシナ型の機関車が残っていたのが紹介されていた。 瀋陽市は1998年鉄道博物館を建設し屋内に保存する計画を立てたが、資金難のため頓挫。 屋外に置かれたままの機関車は、薄緑だった表面の塗装が落ち、錆なども激しい状態になっている。 パシナ型機関車を保存するため、現地の博物館建設を支援しようと、日中交流をを進める大阪の民間非営利団体(NPO) 「関西遼寧協会」が、一億円を目標に募金を呼び掛けている。
募金の問い合わせは「関西遼寧協会・あじあ号基金」 FAX 06・6352・2748。

[記事抜粋]2001年6月3日産經新聞より

 海峡プラザで土産物屋で時間をつぶし、栄町銀天街でふぐ料理の相場を確認し、「レストラン三井倶楽部」に戻り夕食をいただく。 ふぐ刺とふぐ雑炊のセットを注文する。刺身は淡白であまり感動はなかったが、雑炊の方は思いの外だしが出ており、なかなか味わい深い であった。夕食後はライトアップされた門司港レトロ地帯をぐるっと回って、撮影してから駅へ向かう。 機会があれば、函館、小樽、神戸、長崎などの港町の夜景の撮影にチャレンジしたいものだ。

3/18
 昨日の雨もすっかり上がりいい天気である。今日は小倉からこだま、小郡からSLやまぐち号、津和野からおきと乗り継いで松江まで移動である。 小倉駅には回送のレールスターが停車しており、今回の旅で乗れなかったことが心残りである。 0系こだまに40分程乗り小郡駅着くと既にC57-1が煙をあげている。今日は2001年の運転開始日にあたり、発車式の 模様を一目見ようと今回の旅の後半の目玉になるべくスケジュールを調整した。1番ホームでは発車式の準備がすっかり出来ており、 鉄道ファン、プレス関係者などで黒山の人だかりである。自分もなんとかテープカットの瞬間をカメラに収めることが出来た。 SLによじ登って記念撮影をする家族連れがひっきりなしで、落ち着いて撮影する所ではなかった。 全席指定制なので発車間際に席へ向かうと、運転開始日だけあって家族連れで賑わっており満席に近い状態であった。 よく考えてみると、山口線にSLを走らせた当時の国鉄はうまい商売を考えたものだ。 日本全国からSLが引退し、大井川鉄道での定期運行が始まった後、昭和54(1979)年にSLやまぐち号は運行を始めた訳だが、 小郡は新幹線の停車駅であり、関西や北九州地区からは新幹線を利用すれば日帰り圏内なので、そこまでの電車賃は決して安いものではないのだが、 子供にせがまれて家族サービスをする需要はかなり計算できると踏んだのであろう。 沿線には湯田温泉、山口、津和野など観光地が目白押しで、特に津和野観光の活性化にも一役買っており、地元からも歓迎されたに違いない。 SL特有の煤煙の問題も沿線の人口密度から考えると、全く問題にならないとまさにいいことずくめである。

 羽織袴姿のキャンペーンガールによるSLやまぐち号のチョロQの配布を行うなど、JR西日本広島支社の意気込みを感じた。 今日は乗車した人全員にもれなくチョロQが配布された上に、沿線の名産物や特別仕様のチョロQが当たる抽選会が行われ、 車内は大いに盛り上がった。SLに乗るのは数年前のあそBOY以来である。 子供連れの中にはチョロQ目当ての乗車もかなりいたのではないかと推察される程、特に3世代での家族連れが特に目立った。 客車は号車毎に趣が異なり、展望車風、欧州風、明治風、大正風、昭和風に改装されている。 大井川鉄道の旧型客車のように昔のままの方が好ましいのだが、観光客向けにはアピールするものがあると判断した上での改装であろう。 窓の隙間から煤が侵入して来て、窓側のテーブルの上に溜まり始めている。トンネルに入ると外は真っ白になり、長いトンネルだと蒸気の 熱気で窓が曇って来る。窓の隙間から煤煙が車内に少しずつ侵入して来て、白っぽい煙で充満し、煙たくなって来る。 トンネルを抜けるとたまらず窓を開けて、新鮮な空気を入れる。蒸気機関車の運転の苦労が偲ばれる。特に長大トンネルを通過する際は、 機関士が煤煙で窒息した事例もあったと聞いている。停車駅はかなりあったがいずれも停車時間は短く、地福駅での7分間の停車が唯一 撮影のチャンスだ。ドアが開くと同時に先頭方向へ猛然とダッシュし、無事撮影に成功する。駅名標を見ると旧字体で昔の雰囲気を再現して おり感心させられた。撮影に熱中していると7分間はあっという間に過ぎ、発車を告げる車掌の笛が何度も鳴り響いている。 終点津和野から特急おきで益田方面へ向かうのは、我々以外には2、3組しかいなかった。乗客のほとんどは津和野観光をして、 15:22発の上りのSLやまぐち号で帰るものと思われる。JR西日本広島支社のキャンペーンガールのお姉さんの記念撮影をしている間に、 SLは方向転換を終え、ホームに戻っていた。

 15分程で特急おき4号がホームに滑り込んで来る。国鉄色のキハ181系のDC特急は今や貴重であるが、 この設備で特急料金をとられるのは納得行かない。 この程度の設備で運行しているのであれば急行に格下げしてもいいくらいだ。せめて、トイレやシートのリニューアルに努めてもらいたい。 (特急おきは2001年7月のダイヤ改正で新型車両が投入され、スーパーおきと改称) 益田までの山口線は、岩日線の分岐駅になる筈だった日原駅に僅かな名残を観察できたくらいで、 風景としてはローカル線特有のありふれたものだった。益田を過ぎ、山陰本線に入るとコバルトブルーの 日本海の穏やかな風景が連続して現れる。一瞬のチラリズムで名もない入り江が延々と続く。指定席を確保したのだが、幸いにも進行方向 左側の海側の座席だったので、素晴らしい景色を心行くまで堪能することが出来た。かつて山陰本線は偉大なローカル線という呼び声が高く、 西日本随一の景観と年代ものの客車車両の運行で鉄道ファンに親しまれていた。夜行急行だいせん(気動車化された)に連結されていた客車 の運用を最後に山陰本線からは客車の定期運行はなくなった。伯備線、智頭急行、福知山線からの直通特急の為に部分的に電化され、 気動車の長距離列車も急行さんべの廃止により、米子〜小倉の特急いそかぜのみである。 今回九州から山陰へのアプローチとして、特急いそかぜとSLやまぐち号の二者択一をしたが、SLの魅力に負けてしまった。 次回山陰を訪れる際には是非特急いそかぜに乗り、島根・山口の美しい海岸線を見ながら優雅な旅をしたいものだ。

 出雲市以西では気動車は未だに健在であり、停車駅毎に様々な種類の気動車の撮影をしながら山陰路の旅を満喫する。 益田駅の側線では快速石見ライナーとして運用されている急行色のキハ28系と、上半分黄・下半分白でグレーの帯が入った 広島色のキハ40系が見られた。浜田駅の向かいのホームには340D(浜田発14:22 出雲市着16:53)となる 貴重な赤一色の国鉄色のキハ47系が見られた。次の停車駅の江津は広島県の三次までのローカル線三江線の始発駅である。 この路線は全線を踏破する列車が一日に三往復しかなく、随分前から廃止の噂が絶えない。 向かいのホームには451D(江津発14:52 三次着17:33着)となるシルバーの車体に水色と青の帯が入ったキハ120系 が見られた。実はこの列車は7年前に乗り潰しの際に乗車しており、三次では広島行きの急行みよしに乗り継げるダイヤ設定になっている。 (当時の乗り継ぎのダイヤは 山陰周遊旅行第一章を参照)この車両は木次線にも使用されているが、トイレが付いていないので要注意だ。 次の停車駅の温泉津はゆのつと読み、付近には温泉がわいており温泉津温泉という一風変わった名前である。 余程鉄道か温泉に精通している者でなければ読めない駅名である。7年前に途中下車してバスに乗り継ぎ、共同浴場に入った記憶が蘇って来た。 温泉津駅は、米子以西の特急停車駅の中では大変こじんまりとしており、昔懐かしい駅の風情を残しており特に気に入っている。 駅長が出札をするが、乗降客が全くいないのが寂しい。「鉄道員」のワンシーンを思い出して思わず敬礼してしまった。 次の停車駅大田市(おおだし)では隣に快速石見ライナーのヘッドマークを掲げた急行色のキハ28系が見られた。 (快速石見ライナーは2001年7月のダイヤ改正で新型車両が投入される) 次の停車駅出雲市では当駅止まりの伯備線直通のやくも11号と山口線直通の下り特急おき5号が見られた。

 3時間20分足らずの山陰本線の旅を松江駅で終え、明日の市内観光の下調べの為に早速駅前の観光案内所に立ち寄り、パンフレットを貰う。 駅の真向かいにある東急インにチェックインし、シャワーを浴び、宍道湖サンセットクルージングまで部屋でくつろぐ。 遊覧船の船着場はホテルの裏手に流れる大橋川にあるので、大変便利だ。遊覧船は日没に合わせて運行されているが、 この日は雲がかかっており、宍道湖に夕日が沈む瞬間を撮影することは残念ながら出来なかった。 それでも松江大橋を通る瞬間、欄干が逆光に映え素晴らしい写真を撮ることが出来た。 小泉八雲が心酔した宍道湖の夕日の素晴らしさは、日本を代表する情緒ある風景だということを実感させられた。 船を降りて新大橋を渡り、大橋川沿いの柳並木をそぞろ歩き、夕食処を探すが、日曜日の為か定休日の店が多い。 しばらく歩くと京橋川沿いにライトアップされた素敵な建物を発見する。 ここはカラコロ工房と呼ばれ、旧日銀松江支店を修復し、匠をテーマとした製造・販売一体型の工芸館としてオープンしている。 明治の頃には木橋であった松江大橋に響く「カラコロ」という下駄の音に小泉八雲が強く心をひかれたというエピソードから名付けられている。 ガラス、銀、陶芸、古布、木工、手作りパン、ジェラートなど工房作家達のこだわりの作品が実演販売されている。 工房の営業時間は終わっていたが、唯一営業していたフランス料理店「エルミタージュ」に入ることにする。 ここは料理もワインも手軽な値段で楽しめ、それ以上に店員の品の良さ、質の高さが光り、文句なくおすすめできる名店である。

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