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九州・山陰周遊旅行(レール&レンタカー利用)
2001.03/17〜03/20

旅行者 まぶりん麻呂、ちえりん
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 03/12

赤川温泉 赤川荘〜下鶴温泉 萬屋別館 下鶴荘〜滝つぼ温泉〜やまたけ〜田の原温泉 田の原共同湯〜寺尾野温泉 薬師湯〜山川温泉 山林閣〜奴留湯温泉 奴留湯温泉共同浴場〜北里駅跡肥後小国駅跡幸野川橋梁汐井川橋梁、堂山橋梁〜川底温泉 蛍川荘(泊)



 03/13

川底温泉 蛍川荘〜大観望〜肥後大津駅(815系藤崎宮前…藤崎宮…藤崎宮前〜北熊本駅御代志孔子公園菊地プラザ〜菊地渓谷〜大観望〜肥後小国駅から菊池方面へ延伸計画のあったトンネル〜杖立温泉 米屋別荘…杖立温泉 元湯…杖立温泉 米屋別荘(泊)


門司港駅…旧大阪商船…ブルーウィングもじ…旧大阪商船…ブルーウィングもじ…観光物産館…旧門司税関…国際友好記念図書館…海峡プラザ…栄町銀天街…旧門司三井倶楽部…門司港駅


松江駅…松江東急イン(チェックイン)…宍道湖遊覧船 \1,200…カラコロ工房 エルミタージュ(フランス料理)…松江東急イン

旧宮原線の駅舎の画像(恵良、町田、宝泉寺、麻生釣、北里、肥後小国)
これらの画像は全て相互リンクしているさいきの駅舎訪問に帰属します。

 3/12

 奴留湯温泉共同浴場の位置を確認しつつ、旧国鉄宮原線の廃線めぐりを開始する。北里柴三郎博士の生家が残る 北里駅跡付近は、 バイパスの新設や「北里バランはかせの湯」の開発に伴い線路跡の痕跡は残っていない。路線中唯一プラットホームが道路脇に残されて いる。あまりに唐突に出現したので拍子抜けしたが、この付近の観光地図が掲示してあり大変役立った。 飲料水の自販機が置かれ、ちょっとした道の駅の休憩所的に再利用されている。明かに駅構内であった名残の空間が広がっており、 山間の小駅の割に構内が広いのは小国杉などの貨物主体の鉄道であったことがうかがえる。 利用客がまったくいない割に清掃が行き届いた駅としてよく知られており、毎朝地元の方が交代で清掃していたそうだ。 ホームの脇は崖になっている為駅舎は崖下にあり、人間は階段を上りホームへ上り、貨物はトラックが乗り入れられるように地平にある という半高架になっている変わった造りだったらしい。目を閉じると、オレンジ色をした単行の気動車が今にもやってきそうな感じがした。 後になって知ったのだが、駅舎とホームを結ぶ階段は今でも残っていて、緑色のフェンスで覆われた部分がそうである。 ホーム前の観光地図に旧宮原線の最大の遺構である竹筋橋の場所がのっていたので、カーナビに位置を入力しておく。 竹筋とは戦後コンクリートの建造物に使う鉄筋が不足していた為、やむなく竹を代用として使ったことによる。 路盤はその後、杉木立の切通しやトンネルを通り終点肥後小国へ続く。

 まずは終点の肥後小国駅跡へ向かう。 肥後小国駅は豊後森駅と肥後小国を結ぶ国鉄宮原線の終着駅であった。小国杉を中心にした木材の搬出を目的に昭和29年に開通し、 旅客列車は日に三往復のみの超ローカル線であった。昭和59年12月1日に宮原線は廃止され、肥後小国駅跡には「ゆうステーション」 が建てられた。杉角材を特殊なポールジョイントで三角形に組み合わせていくという日本初の木造立体トラス構法がとられ、 平成5年には道の駅に指定され、1階は特産物の販売所、2階は町民ギャラリーとして休憩機能、情報交流機能を備えている。 建物の敷地の広さからかつて小国杉の搬出で賑わった貨物積み出しの広大な構内であったことが想像できる。 現役当時の終着駅の写真を見ると駅舎直結のホームに来てただ戻るだけの様で、側線はまったく使われていなかった模様だ。 一日三本しか来ない超過疎ダイヤで駅員が三人もいたのでは、国鉄が大赤字であったことは無理もないことだ。 敷地の片隅には旧式の駅名標、線路、腕木式信号機、転轍機が残されており、辛うじて終着駅であったことを伝えている。 「ゆうステーション」の中には廃止当時まで使われていた駅名標が掲げられている。 ちなみに宮原線の名前は終点肥後小国駅があった地区の大字からつけられている。町名、駅名、旧国名でもない路線名称は大変珍しい。 肥後小国駅を過ぎてから過ぎてからもレールは延びていたらしいが、貨物列車の折返し用であった模様だ。 国鉄時代に熊本電鉄の前身である菊地軌道の終点菊池までの延伸計画があり、もし実現していたら豊後森から直通の藤崎宮や上熊本行き の列車が走ったかもしれない。工事の進捗率は2%にとどまり、実際にはほとんど手がつけられていなかったに等しい。

 一旦杖立温泉方向へ向かい、カーナビの指示通りに右折し、しばらく行くと北里柴三郎記念館の先に幸野川橋梁が突然現れた。 かなり巨大な橋であるが、いつのまにか周囲の景色に溶けこんでいる。肥後小国方向には線路跡らしい高台がずっと続いている。 橋に近づき登れる所があるか検証するが、無理だったので車へ戻り、別の竹筋橋のポイントへ移動する。 奴留湯温泉付近から山川温泉へ向かう道の途中に汐井川橋梁、堂山橋梁が現れた。二つの橋の間に神社があり、神社の脇から線路跡に登ることが 出来た。サイクリングロードに転用を図ったのか橋の上には柵が設けられていたが、残念ながら橋自体は立ち入り禁止であった。 麻生釣方向にはトンネルもあり、見通しも利き往時を偲びつつ散策するのには格好の場所である。 シイタケのホダ木なのだろうか、木が組まれて置いてあり、それが廃線の上にずっと続くので枕木を連想させるのもまた良い。 今日は廃線跡ではあるが、温泉と鉄道の融合を図ることが出来た。全国的にも森林鉄道と山奥の温泉の組み合わせは探せば結構存在する ので、機会があれば実行してみたい。また、全国の城巡りの志も半ばであり、歴史上の史跡にも興味がある。 廃線跡巡りは一種考古学的な要素もあり、碓井峠の碓井第3橋梁などがその最たる例である。 漠然としているが、鉄道、温泉、歴史、トレッキング、MTBなどを組み合わせた多角的な旅を模索していきたいものである。



 3/13

 今日は温泉巡りはひと休みで、豊肥本線の電化の状況と熊本電鉄の取材へ向かう。 南小国町を経由して大観望に立ち寄り、阿蘇やくじゅうの山並みを堪能した後、国道57号線で肥後大津へ向かう。 途中、豊肥本線の立野付近の3段スイッチバックや国道沿いの杉並木を横目に見ながら肥後大津へ向かう。 正午過ぎに肥後大津駅に到着する。駅前のコンビニの駐車場に車を置き、撮影に向かう。 ホームには宮地行きの気動車が停車していたが、しばらくすると 新型の815系のロングシートの車両が反対ホームに滑り込んで来る。 シックなシルバーとレッドを基調にした外観とは打って変わって、ドアの内側はイエローでインパクトがある。 815系は慌しく折返し熊本方面へ走り去ったが、宮地方面は昼の時間帯であった為前の列車が出たのは2時間前だった。 宮地行きの気動車には既に乗客が乗り込み、思い思いに昼食を食べたり、本を読んだりして非常にのどかである。 結局折返し列車をもう1本待ってからの発車になり、予想以上に混み合って満席になり、すわれない乗客もでるほどだった。 熊本〜肥後大津間の電化から2年あまり経つが、宮地方面へ向かうには肥後大津で乗り継ぎを余儀なくされるのはいかがなものだろうか? 特に立野から南阿蘇鉄道に乗り継ぐ場合にはかなり面倒である。これでは観光客は「特急あそ」に乗れと言わんばかりだ。 朝夕には宮地方面への乗換え無しの気動車の運行もあるが、せめて立野まで電化して観光客の利便を図ってもらいたいものだ。 発車する気動車を眺めながら車中で簡単に昼食を済ませ、次の目的である熊本電鉄の取材へ向かう。

 車は都市部へ入り、カーナビの指示で最短距離で目的地まで誘導してくれる。今日ほどその恩恵をあずかったことはない。 始めは北熊本駅に向かっていたが、カーナビの画面に熊本電鉄の始発駅藤崎宮前駅が現れた。 最近改築して駅ビル化したので思わずハンドルを切って、行き先を変更する。一階のパチンコ店の奥にひっそりと藤崎宮前駅はあった。 以前は古びた駅舎だったのとは想像つかない程の変貌ぶりだ。駅の上には温泉もあり、旅の疲れを癒すことができる。 一階のパチンコ店の場所にあれば駅併設の温泉リストに入れたい所だが。 ホームには都営地下鉄から移籍してきた6000系が入線していたので車両の撮影をする。 折角なので近くの藤崎宮にお参りする。思いの他に立派な神社であった。

 次は熊本電鉄で唯一2面3線の北熊本駅へ向かう。支線である上熊本〜北熊本で活躍している元東急5102単行が丁度ホームに入って来た。 岳南鉄道、松本電鉄で引退して以来元東急5000系の勇姿が見られるのは熊本電鉄のみだ。 確か上熊本方面、藤崎宮方面、御代志方面の三列車が同時に入線する光景が見られるはずだ。 果たして、本線である藤崎宮〜御代志で活躍する元都営地下鉄の6000系が両方向から進入してきて慌しく発車していく。 5102単行はしばらくぽつんと停車していたので、格好の被写体となる。列車が全て引き払った後で、車庫と駅舎の撮影へ向かう。 側線には元東急5104、元南海200系などを撮影し、さらに奥へ行くと古びた車両が放置されていた。 その車両に隠れるようにして前身包帯を巻かれた様にたたずんでいる元東急5101があるではないか! すわスクラップ直前か?と思いきや、実はマスキングしていた所で丁度塗装の塗り直し作業をしている途中らしかった。 真ん中の赤帯の部分をはがすと、錆がかなり目立っていた。冷房化できないそうなので行く末もあまり長くはないのだろう。 個人的には元東急5000系はその特異な丸みを帯びたスタイルが好きで、岳南鉄道で実際に乗って以来ファンになった。 青ガエルと呼ばれる東急の名車との呼び声が高かったが、長野電鉄、岳南鉄道、松本電鉄で相次いで引退し、現在は上熊本〜北熊本の運用のみになってしまった。 こういう地方鉄道で末永く大切に使われる車両は幸せだ。最近は某大手鉄道会社では車体にお金をかけず、車体寿命を極端に短くする 傾向が顕著であるが、機能やデザインが時代遅れになってもやはりいいものはいいのである。 北熊本駅の本屋(ほんおく)側の駅名標はなんと木製であり、いい味を出しているではないか! この駅以前来た時は乗り継ぎで慌しかったのであまり印象に残っていなかったが、かなり気に入った。

 終着駅の御代志へ向かう。御代志までの路線の一部はかつて道路に並行していたが道路の拡張工事に伴い、東よりに新線が出来た筈だ。 線路はすでにはがされており、旧黒石駅のホームは重機が入り半ば壊されかかっていた。新線付け替えに伴い新駅も出来たので廃止に なるということはまずなさそうで安心だ。御代志駅前のローソンに車を置き、駅へダッシュし、さあ撮影しようと思ったらふいに発車しまう。 仕方なくコンビニでジュースを求め、ホームのベンチで粘ることにする。この駅はホームの反対側がバス乗り場になっている。 近鉄の宇治山田駅がかつてそうだったが、全国的にも珍しい構造である。といっても電車に乗る人がほとんどいないのが寂しい。 バスと電車が並行しており、バス利用の客がほとんどだと思われる。しばらくして列車が滑り込んで来た。 御代志駅の貧弱なホームには20mの車両は持て余し気味で、しばらく撮影を続けるが、再び唐突に去って行ってしまった。

 かつて御代志から先に菊地まで路線が延びており、ほぼ並行して走る道を辿ってお手軽な廃線探訪に移る。 車窓からそれと分かる遺構は歩行者用に転用されている泗水孔子公園ふれあい橋しかみつからなかった。 泗水孔子公園はかつての泗水駅跡で、現在は中国風の建物が立ち並ぶちょっとしたテーマパークの様な公園で結構賑わっている。 駅跡は公園内のステージ付近だったそうだが、当然の事ながら全く痕跡は残っていない。 熊本電鉄で活躍した車両が公園に静態保存されており、一両は餃子の店、もう一両は雑貨屋として第二の人生を歩んでいた。

 菊地川を渡った付近から進行方向左手には幅の広い歩道が菊地方面へ真っ直ぐに伸びている。これは間違いなく廃線跡だ。 菊地駅跡の場所が今一つ分からず偶然にもカーナビの指示から道を外れ旧道と思しき細い路地を入って行くと、熊本電鉄菊池プラザが現れた。 現在はバスターミナルとして利用されている。菊池には温泉があり一浴と行きたい所だが、今日の宿泊は杖立温泉なのでがまんする。 途中菊池渓谷を経由し、渓谷を一目見ようと駐車場の案内板を見ると川に下りるまで相当な距離があり、物見遊山では済まないことが発覚。 いつの日にか時間をたっぷりとって渓谷沿いのハイキングを楽しみたいものだ。 大観望の西にある展望台からは阿蘇やくじゅうの山並みが午前中よりもはっきり見える。360度見渡せる山の景色は九州一であろう。

「ゆうステーション」から少し南に廃業したガソリンスタンドがあったのでなにげなく見るとその左手にトンネルがちらっと見えた。 車を停め、観察すると驚いたことに車道を横断する形で鉄道の路盤らしいことがはっきりしてきた。北側はちょっとした切通しで、 南側はトンネルになっていて行き止まりっぽい。どうみても車道であるはずはない。断定はできないが、 肥後小国から菊地へ延伸計画があった工事の名残であろう。 昨日見たトンネルとほぼ同じ大きさである。トンネルの手前は水田が広がっている。 トンネルの手前に築堤があり用水路が流れている。築堤から眺めれば、緩やかな曲線を描いて小さな川を渡り切通しを進む気動車の幻影が 頭の中に広がった。トンネルはそれほど長さではなさそうだったので、向こう側まで行ってみた。向こう側は藪になっており、 永らく人の手が入っていないことがうかがえた。この件についてはネット上でも私と同様の意見の方がいたので、しかるべき所に問い合わせてみたいと思う。

[参考文献]
『鉄道廃線跡を歩く』『鉄道廃線跡を歩く5』宮脇 俊三編著(JTBキャンブックス)・
『全国ローカル線の旅』(昭文社)・ 『きくち電車クラブ』(dodongoさん)
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