国鉄宮原線廃線跡
宮原線というのは、終着駅の肥後小国付近の字の名前が線名に名付けられた国鉄唯一の路線でした。
神武天皇の三柱の御子の一人である神八井耳命の命により筑紫に下り西戎を鎮め、肥後において阿蘇津姫を妻とし阿蘇に住んだ阿蘇の開拓神とされる
健磐竜命(たけいわたつのみこと)が阿蘇山上から四方を拝し、三方に矢を放たれた。北に放たれた矢の落ちたところが御矢の原(現在の大字宮原)である。
流石に阿蘇は神話の故郷だけあって、地名ひとつとっても含蓄のあるので駅名の由来についても調べていきたいものです。
キハ07の画像は九州の温友rakku。さんに提供していただきました。
現役当時の宮原線に1972年(昭和47年)3月に乗車したという貴重な体験の持ち主です。
キハ07は2003年8月9日にオープンした九州鉄道記念館にて展示されている車両です。
取材年月日2001年3月12日、13日