4/21
新宿から山の手線、埼京線を乗り継いで赤羽に到着する。
新特急には25分程時間があったので、駅構内のサンディーヌでコーヒーを飲んで時間を潰す。
新特急は前7両が草津行き、後ろ7両が水上行きで、新前橋で切り離しになる。
指定席は1両のみだが乗車率は高く、座席は9割方埋まっていた。
出発した時はどんよりとした天気だったが、渋川付近で雨が降り始めた。
途中山々から水蒸気が立ち昇り、まるで水墨画の様な景色が車窓に広がっていた。
その後は降ったり止んだりの生憎の天気であった。
長野原草津口からのバスで草津に到着する。あたり一面に霧が立ち込め、視界が悪く、肌寒かった。
草津BTに到着するや否や、湯巡りを開始する。「箱田屋」で某掲示板で話題になっていたぴり辛饅頭をGET!
まずは千歳の湯だが、予想以上温くて、湯口から出ているお湯も温めであったので5分くらいで切り上げる。
浴槽の端に石で出来た台が新しく設置されており、半身浴をすることが可能になった。
草津は何度も訪れていたが、道の駅へは一度も立ち寄っていないので向かうことにする。
途中「近江精肉店」へ寄る。電気が点いており、扉が開いているが、人の気配がない。今回も鶏のももの唐揚はGETできず。
躑躅の湯の上を通る遊歩道を少し歩いていると、霧の中から突然展望歩道橋が現れた。
観光協会の草津のPRビデオを見ながら少し休憩を取る。
このビデオはなかなか良く出来ており、草津へ初めて来た人には是非見ていただきたい。
何気なく入ったロマンチック街道資料館で、思いがけないものに出会った。
日本を代表する避暑地軽井沢と、温泉とスキーのメッカ草津温泉を結んでいた鉄道があったことはほとんど知られていない。
その草軽鉄道で活躍した電気機関車の1/2の模型が展示されていたのである。
草津電気鉄道は、大正4年(1915)に新軽井沢〜小瀬温泉間10.0Kmが、草軽軽便鉄道として開通した。
次第に路線を北へ伸ばし、大正13年(1924)に電化し、大正15年(1926)に草津温泉までの全線55.5Kmが開通した。
草軽電鉄は、山間を走る路線であったことから、始めからその輸送力の貧弱さという、欠点をかかえていた。
登り勾配になると、人が歩くほどのスピードしか出ず、飛び降りた乗客が用を足して、また乗り込めたなどというエピソードが残っているほどであった。
また、その構造上風水害にも弱く、送電線の断線・路線の崩壊・豪雪などにより、たびたび運休となった。
昭和14年(1939)に社名を草軽電気鉄道に改称したが、昭和20年(1945)国鉄長野原線(現JR吾妻線)が開通し、
草津温泉への客は、国鉄+バスに移行した。さらに昭和30年代にはバスの大型化が進み、草軽電鉄の乗客は減少し、経営は悪化していった。
昭和34年の台風により吾妻川の橋梁が流失し、軽井沢の車庫が全壊となったのが廃線の致命的なひきがねとなった。
当時の遺構は殆ど残っていないが、立派な造りの北軽井沢駅がスナックに変身して現在も大切に使われているのみである。
1/2のサイズの模型とは言え、ロマンチック街道資料館は在りし日の草軽鉄道の姿に直接触れることの出来るスポットである。
モデルとなった「デキ12型」電気機関車は長いパンタグラフとL字形の車両から”カブトムシ”の愛称で親しまれた。
常々鉄道と温泉の融合を目指している者としては、思わぬ収穫となった。
軽井沢の文学資料館で草軽電鉄に関する資料を閲覧して以来、いつかは廃線跡を探索してみようと思っている。
草軽電鉄は、高原列車という、その情緒あふれるイメージが買われてたびたび映画に登場している。
昭和6年の「マダムと女房」は、日本初のトーキー映画として人気女優の田中絹代が主演し、草軽鉄道が全国に知られるきっかけとなった。
日本初のカラー映画となった昭和25年の「カルメン故郷に帰る」(高峰秀子主演)、昭和32年の「月がとっても青いから」(菅原都々子主演)、
昭和34年「山鳩」(森繁久弥・岡田茉莉子主演)など多くの映画の舞台として紹介された。
[参考文献]『鉄道廃線跡を歩く』宮脇 俊三編著(JTBキャンブックス)
躑躅の湯は先客が3人いて、入れ替わるようにして後から2人入ってきた。浴槽が割と広めなので一度に5人くらい入っても
問題はない。やや熱めの湯で、空腹だったせいか少々のぼせてしまった。昼食は「うし代亭」でざるそばをいただく。
つゆは薄めだが、だしがしっかり効いている。蕎麦は歯ごたえがあり、まずまずの味だ。鎧兜が飾ってある座敷はストーブがついており、
草津の春はまだこれからといった感じだ。宿へチェックインする前に草月に寄り、お気に入りの野沢菜饅頭を求める。
残念ながら野菜饅頭はほとんど売り切れであり、旬の味である蕗味噌饅頭を明朝買いに来ることを伝えておく。
本日の宿「草津館」は白旗の湯の隣という絶好のロケーションで、内湯は白旗の湯の他に自家源泉の若の湯を持つ温泉好きにはたまらない宿だ。
若の湯は温泉通の間ではかなり評価が高く、草津一との呼び声もあるほどだ。部屋でぴり辛饅頭と野沢菜饅頭をいただく。
相変わらずどんよりとした天気であるが、幸い雨が降っていないので早春の草津の息吹を求めて散策に出掛ける。
草津公式HPの掲示板にて水芭蕉が咲き始めたとの情報をキャッチしたので、西の河原公園の奥に伸びる遊歩道へ向かう。
なんと遊歩道からは西の河原露天風呂の男湯が丸見えである。初めて遊歩道から露天風呂を見たが、これほど見えるとは驚きだ。
鬼の相撲場の奥にそれらしい場所を探し求め、しばらく奥へ分け入ると、かわいらしい水芭蕉がぽつりぽつりと咲き始めていた。
木道の所々が朽ち果て、草が生い茂っている所があり、少々整備が行き届いていないのが残念だった。
メインの遊歩道から奥まった所に咲いている為、気が付く人は皆無で、ちょと秘密にしておきたい場所である。
水芭蕉はGW頃には丁度見頃になると思われる。話が前後するが、西の河原のとある場所でお湯が噴水の様に噴き出している場所があった。
偶然にもカメラに収めたが、戻ってくると跡形もなく、湯はゆっくりと湧き出していた。
前回までに外湯十八湯は制覇したので、今回はお気に入りの外湯に的を絞る。ホテル望雲へ向かう坂を登り、翁の湯へ向かう。
幸いにも貸し切り状態で、いつもながらの温めのお湯で大満足。バルブを全開にしてもそれほど熱くはならない。
ここは改築してそれほど経っていないので全てにわたって清潔なイメージだ。
今まで気がつかなかったが、男湯と女湯の入り口の引き戸が違っていた。
懸案だった浴室の撮影を無事に済ませ、あと残るはこぶしの浴室を残すのみとなった。
草津ホテル脇の坂を登り、しばらくして右折して囲山公園へ向かう。ここは草津町内で唯一シャクナゲが自生している場所だ。
つぼみはかなり膨らんでおり、GW頃に見頃になるのではないだろうか。
白根神社の参道は以前は雨が降るとぬかるみになっていたが、最近コンクリートで綺麗に整備されていた。
草津に縁の有る文人達の文学碑を見ながら、囲山公園を通り抜ける。
階段を降りて桐島屋の前を通りかかると、見たこともない珍しい花が咲いていた。道端にも水仙など春の花が一斉に咲き始めていた。
急坂を登り、長寿の湯へ向かう。いつもながら熱めの湯だが、外湯の中でもかなり渋みがありお気に入りの外湯である。
洗面器と椅子が新しいものに変わっており、さらに好感度アップだ。
熱い湯なので肩まで浸かってられないので、しばらく足湯をしていると汗が吹き出してきて、湯上り後もなかなか汗がひかなかった。
Kさんに煮川の湯、大滝乃湯、地蔵の湯を紹介しつつ宿へ向かう。
明日は自転車レース「ツールド草津」が開催される為、町内の主な通りには幟が立ち、足慣らしをするレーサー達のロードレーサーや
MTBが行き交っていた。湯畑前の駐車場ではルーフにロードレーサーが積まれている車が数多く見受けられ、
宿へ戻ると玄関に参加選手のものと思われるMTBが置いてあり、一気にレース気分が高まってくる。
今回の旅の主目的である草津館の内湯へ向かう。脱衣所には若の湯の成分分析表が掲示してあり、期待に胸が高鳴る。
浴室の入り口のドアのたてつけが悪く、なかなか開かない。悪戦苦闘しながらようやく浴室へ入る。
手前と奥に2つ浴槽があり、浴槽の面積の割に洗い場のスペースが少々狭いのがやや難点である。
奥の広い浴槽には宿の庭に湧出している若の湯が引かれており、湯口から勢い良く大量の湯が注ぎ込んでいる。
湯口から出ているお湯は透明なのだが、浴槽の表面は緑礬泉の為、析出物で白濁した緑色に見える。
草津の湯らしからぬ、それ程激熱の湯ではなく適温である。非常に柔らかい感じで、イメージとしては地蔵の湯にかなり似ている。
しかし、個人的には地蔵の湯を上回る草津一の名湯であると思った。
昔はこの若の湯は女湯にのみ供給されていたが、近年男湯にも引かれ好評を博している。
手前の小さな浴槽には白旗の湯が供給されている。こちらは、激熱の湯の為足湯をするにとどめておく。
前回の湯巡りで外湯18湯を制覇したので、これからの草津の湯巡りは自家源泉を持つ宿の内湯、和風村に加盟している旅館の内湯巡りへ移行していくものと思われる。
夕食は電話で連絡してくると思ったら、各部屋まで直接出向いて案内をしてくれた。
1階の食堂白旗は宿泊客の食事処も兼ねており、座敷は各部屋毎についたてで仕切られていた。
量的には多からず少なからず、適量で味付けはだしがしっかり効いており、特にまいたけの天ぷらは絶品であった。
部屋へ戻る途中に宿の蔵書を覗いてみると、井野酔雲先生の著作があり、他にも鶴太郎の随筆集などをお借りする。
井野先生は湯畑下の日新館の番頭をしている方で、平日は執筆活動をし、週末は番頭稼業をなさっている。
日新館を営む湯本家は、源頼朝公が草津に巻き狩に訪れた際に温泉を案内したことから、湯本姓と家紋を賜った由緒ある家柄である。
その湯本家の戦国時代の領主が主人公で、武田・上杉・北条に翻弄された上州の当時の状況が描かれている。
『戦国草津温泉記』という題名で、なんと聞く所によると井野先生の記念すべきデビュー作とのこと。
剣術のことにも触れており、上泉伊勢守の陰流から柳生石舟斎の新陰流に進化していったくだりが大変興味深い。
他にも白根修験道や忍術についても詳しい記述があり、当時の戦国武将の勢力争いと絡めて歴史小説としてはかなり読みごたえのある
作品となっているが、現在では書店では手に入らないとのことで非常に残念な限りである。
翌朝のチェックアウト寸前まで必死に速読したが、8割方しか読めなかった。
夕食後しばらく読書した後、湯畑下の焼き鳥「静」へ向かう。ここの焼き鳥は絶品である。
いつでも長蛇のできる店で、ビール片手に焼き鳥をぱくついている観光客の姿が湯畑下にたくさん見受けられる。
今回は食後だったので、ねぎま5本を3人で分け合って食べた。
しばらく夜の湯畑を鑑賞し、すぐ近くの日新館直営の喫茶店「ぐーてらいぜ」へ向かう。
この店はロケーションがいい為いつでも混雑しているが、この時も満席状態で活況を呈していた。
最近は若い女性の姿が目立つようになったせいか、若者向けの新メニューも加わっていた。
その中からチョコバナナシェイクを注文する。これがなかなかどうしていけるのである。
宿の浴室を改築しただけあって、高い天井、明り取り、太い梁などが古き良き草津温泉を偲ばせる。
浴衣がけでぶらっと訪れ、夕食後の憩いの一時を過ごすのはもってこいの喫茶店である。
他のシェイクはもちろんだが、「ぐーてらいぜ」のメニューの全制覇を目指して通ってみたい。
宿へ戻り、寝床で睡魔と戦いながら『戦国草津温泉記』を読みふけった。
4/22
5時30分頃に目覚め、源泉の外湯三湯の湯巡りに出掛ける。まずは隣の白旗の湯へ向かう。これが草津館のロケーションの良さの最大のメリットである。
右側の小さめの浴槽は透明で入れたてのお湯の為、激熱でとても入れない。
お湯を冷ます為に、つけもの樽のような容器にはお湯が汲み置きされている。
左側の大きめの浴槽はお湯が張られてから一日経っている為、白濁しており、いつになく温めの湯で拍子抜けした。
個人的には温めの湯が好きなので、適温の白旗の湯を初めて心ゆくまで堪能した。
次は地蔵の湯へ向かう。外湯で一番のお気に入りであるが、最近はかなり知られるようになって、早朝以外はいつも混み合っている。
いつもながらやや温めのお湯で、目を洗ってもここの湯だけは不思議と目にしみない。
科学的には強酸性の湯だからそんな筈はないと思うのだが、これも地蔵菩薩のご加護なのだろうか?
締めは煮川の湯だ。浴槽の壁板がリニューアルされ、そこに換気用の格子窓越しに朝日が差し込んできた。
朝湯ならではの情緒がほんの一瞬楽しめた。
湯口から出る湯量はいつもながら豊富だったが、いつもより温めだった為、初めてゆっくり浸かることが出来た。
宿に戻り、内湯の若の湯の浴槽を撮影し、手早く浸かる。源泉三湯と比べても、やはりここは草津一の名湯であるとの印象を再確認した。
朝食の前後に引き続き『戦国草津温泉記』をむさぼり読む。食後に妻に頼んで草月のふき味噌饅頭を買って来てもらう。
思ったほどふき味噌は苦くなく、野生に生えているものを使っている為、量的には多くは作れないそうである。
季節限定の隠れた逸品を探し当てて、得をした気分になった。
10時ぴったりにチェックアウトすると、湯畑の周りはすでに大勢の人が集まっていた。
湯畑はツールド草津のデモンストレーションコースにあたり、町内で最大の見所になっていた。
自転車レースを見るのは初めてだったが、自分も夏場はMTBを少々やるので、色とりどりのウェアや様々なメーカーの自転車に
感動しつつシャッターを切り続けた。デモンストレーションは2グループに分かれており、予想以上の参加選手の多さに驚いた。
熱の湯の前では歓迎の太鼓が鳴り響き、地元草津の選手が登場すると拍手がひときわ高まり盛り上がった。
談笑しながら併走する選手や観衆に手を振る選手がなごやかな雰囲気を醸し出している。
この日は冷たい風が吹き荒れていた為に少々肌寒く感じられ、ウェアの上にウィンドブレーカーを重ね着する選手が多く見受けられ、
草津の春本番はまだこれからといった感じだった。志賀草津道路の開通を目前にした草津に春を告げる行事としてすっかり定着している。
ツールド草津の興奮覚めやらぬまま、鶴太郎美術館の喫茶コーナーで紅茶のババロアをいただく。
以前ここで食べた黒胡麻のブラマンジェに勝るとも劣らぬ逸品だ。ここの喫茶コーナーは鶴太郎氏の作品の売り場に併設されているが
以外と知られていない穴場であり、もちろん美術館の入場料を払わなくても利用可能な為、おすすめスポットである。
久しぶりに美術館を見学すると、やはり展示内容は春を題材にしたものが多く華やかな気分にさせられた。
中でも石楠花や躑躅といった春の花の絵が大変印象に残った。
長寿店の饅頭攻撃を避ける為遠回りして凪の湯へ向かう。
凪の湯の斜め前にあった廃業した煎餅屋の建物は撤去され新しい建物がほぼ完成していた。向かいの饅頭屋の長寿店が買収したのだろうか?
凪の湯は脱衣所に新たに張り紙がしてあったせいか、以前より綺麗になった気がする。
もともと情緒豊かな外湯である為、さらに綺麗になれば必ず人気が出る外湯であろう。
昼食は湯畑下に新装開店したイタ・トマCafe Jrでいただく。
こういった若者好みの店は草津では少ない為、ロケーションの良さも手伝ってかなり繁盛するものと思われる。
窓際に陣取れば湯畑を見下ろすことが出来、甘いものやビールも置いてある為いつでも気軽に利用したい。
湯畑前の土産物屋本多で新たなオリジナルキャラクター商品を発見したので、ネット上でいつもお世話になっている方のプレゼント用に求める。
最後はじっくり喜美の湯にじっくり浸かり、亀屋で饅頭をいただきながら店主のの息子さんの話を伺う。
帰り際に喜美の湯と亀屋で締めくくるのは定番となり、すっかり常連客として認知されているのが嬉しい。
帰路の高速バス上州湯巡り号の中で今回のレポを書き終えた。