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信濃温泉巡り第二章
2001.09/19〜09/24

まぶりん麻呂。ちえりん
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(注)温泉名 施設名 料金 営業時間 定休日

9/20
 翌朝の朝食は庭園を望む食堂でいただく。改めてじっくり眺めると、野沢一と評される池を中心にした庭園は素晴らしい。 朝食を終えた客が浴衣姿で、池の周りを散策しながら記念撮影をしているのが見える。 惜しいのは増築した部分が味も素っ気もないコンクリートの建物であることだ。 せめて奈良屋や住吉屋の様に風情溢れる感じに仕上げてもらいたいものだ。朝食後に急いで朝風呂を済ませ、慌しくチェックアウトする。 麻釜湯でも入ろうと思ったが、バスの時間まであまりないので諦め、バス停近くの土産物屋で時間をつぶす。 森に住む動物をモチーフにした様々なからくり時計があり、見ていて飽きなかった。 丁度掛時計を探しているのだが、適当なものがなく最近あきらめかけていただけにいい店を見つけた。 次回来る時にはここでからくり時計を買ってみようと思う。

 長野駅行の急行バスは長電バスのお下がりを使っており、ちょっとくたびれた感じだった。 バス停にかなりの先客がいたが、このバスに乗る人は少なく、ほとんどの人が次発の戸狩野沢温泉行のバスに乗るようだ。 長野電鉄木島駅に立ち寄るが、乗車する客は一人もいない。駅が廃止になればここに立ち寄ることもなくなるのだろうか? 続いて飯山駅に立ち寄るがここでも下車することは出来ない。道の駅に寄った後に長野自動車道経由で長野駅へ直行する。 バスは新幹線口に到着し、長い連絡地下通路を通り善光寺口の駅レンタカーへ向かう。

 5日間お世話になるキューブと対面する。もちろんオプションでカーナビをつけて、初めての道でもへっちゃらだ。 まずは真田町にある千古温泉へ向かう。長野道長野ICから更埴JC経由で上信越道上田菅平ICを目指す。 上信越道のこの区間はトンネルが多く、トンネル部分で長野新幹線と2回交差しているのが面白い。 国道144号線で真田町に入ってすぐ左折し、洗馬川沿いの道を進むと千古温泉はすぐに見つかった。 しかし、入り口にはロープが張られ、本日休業とのことである。残念であるが、気を取り直して次の目的地へ向かう。

 上田交通傍陽線の傍陽駅跡を探したのだが、見つからない。郵便局で尋ねると1年くらい前に跡地は買い取られて、跡形もないとのこと。 はたしてその場所へ行ってみると、新築の家が建っていた。 家の裏手を見ると、明らかに鉄道敷地の跡らしき細長い空間が存在した。最近まで駅舎はバスの待合室に転用されていたが、残念なことだ。 別所温泉駅と同様にローマ字表記で「SOEHI STATION」と書かれ、モダンな駅だっただけに一目見たかった。 上田交通は今でこそ別所線のみしか残っていないが、鉄道全盛期には上田駅から青木村や丸子にも路線を伸ばし、傍陽や真田にも鉄道が通っていた。 国道144号線の本原交差点付近にはかつて本原駅があり、ここで北西方向に傍陽線、北東方向に真田線が分岐していた。 傍陽線は、横尾、曲尾、傍陽の3駅があり、横尾駅は先程の千古温泉の近くにあったようだ。 真田線は北本原、石舟、長村、真田の4駅があり、路線は現在の国道144号線に並行して走っていた。 真田駅跡は取り壊されて跡形もなくなっているとの情報を得ていた為、真田駅探訪はあきらめる。

 [参考文献]『鉄道廃線跡を歩く』宮脇 俊三編著(JTBキャンブックス)・上田交通開業80周年記念乗車券

 町の中心部には信州真田温泉があるが、真田氏の旧跡を訪れることにする。 町の名前から分かるようにここは、真田十勇士(一人で十人に匹敵する優れた忍者)や真田幸村(信繁)を生んだ土地である。 真田町は上田市の北に位置し、三方を山に囲まれ周囲の山々には多くの支城をもって防備を固めていた。 洗馬、根古屋、横尾、米山、戸石、松尾、天白、真田氏本城があり、その他に真田氏の館があった。 館跡の周囲は御屋敷公園として整備され、隣接して真田氏歴史館がある。 ここは真田氏の上田城築城以前の居館と言われ、永禄年間(1558-70)頃の建築ではないかとされている。 中世豪族の居館の形態がほぼ完全な形で保存されている。館の周囲には土塁がめぐらせてあり、南側には石垣が残る。 館跡には皇大神宮が建っており、県の史跡に指定されている。館跡で簡単に昼食を済ませ、真田氏歴史館へ向かう。

 真田氏のお屋敷を彷彿とさせる造りの真田氏歴史館には、真田三代に関する各種の資料が展示されている。 展示室の入り口には真田の六文銭のモニュメントがライトアップされており、気分が高揚してくる。 この意匠は長野新幹線上田駅にも使われており、全国的にも珍しい事であり、JRらしからぬ粋な計らいである。 真田氏の活躍が年表の形に分かりやすく解説されており、NHK大河ドラマ「真田太平記」で使われた、真田昌幸・信幸・幸村親子の鎧や 槍も展示してあり、真田ファンにとってはこたえられない充実した展示内容だ。 武田家の二十四将の一人に数えられた真田昌幸、父昌幸と共に中仙道経由で関ヶ原へ向かう徳川秀忠の大軍を、上田城にて巧妙な作戦でよく凌ぎ、 大阪冬の陣の真田丸の攻防で徳川軍を撃退し、夏の陣で家康本陣まで肉薄するも討ち死にした真田幸村(信繁)、 関ヶ原以降徳川方につき、幕末まで真田家を継続させた幸村の兄信之などに関する資料も充実し、 これで入場料200円とは驚きだ。今回は温泉巡りが主である為、じっくり見て回れなかったが、次回はゆっくり見たい所だ。

 丸子温泉郷と青木村の温泉巡りへ向かう。上田菅平IC、上田駅前を通り、上田交通別所線と並行して車を走らせる。 上田原駅で線路は南に向きを変える。これは国道143号線沿いに青木村までの路線が分岐していた名残である。 下之郷駅では線路は再び西へ向きを変える。これは丸子町までの路線が分岐していた名残である。 上田交通と別れを告げ、日本の中心とされる生島足島神社を横目に見ながら、南へ進む。 平井寺トンネルを抜けると丸子町だ。ここから西へ行くと霊泉寺、大塩、鹿教湯と温泉が立ち並んでいる。

霊泉寺温泉「共同浴場」 100円 07:00〜21:30 無休
 霊泉寺の駐車場に車を置き、温泉街へ向かって歩いていく。 時間が止まったかのような鄙びた静かな温泉街で、霊泉寺という名前がこの雰囲気にマッチしている。 三方を山に囲まれ、古刹霊泉寺の寺湯として細々と続いてきただけあって、さすがに観光地化されていない。 この温泉の歴史は古く、平安時代さかのぼる。平維持が鬼女との合戦で負った傷を癒した伝説が残る。

 以前和泉屋という旅館に泊まったことがあるのだが、その頃は本格的に温泉巡りをしていなかった ので、共同浴場の存在は知っていたが、未湯だった。モルタル造りの共同浴場は和泉屋の隣にあり、周りの風景に溶け込んでいる。 番台で料金を支払い、脱衣所へ向かうが、タバコの吸殻が床に落ちており、ちょっと興ざめ。 共同浴場としては浴室と浴槽はかなり広めで、一見するとちょっとしたホテルの大浴場クラスだ。 無色透明の熱めの湯で当然掛け流し。浴槽の紺色のタイルが綺麗で印象的だ。 蛇足だが、浴槽のタイルの色は泉質に関わらず、浴感のひとつとして記憶に残ることが多い。 しかしここで一番驚いたのは、男湯と女湯を隔てる仕切りの壁だった。 何故かと言うと、仕切の壁に近寄るとはっきりとは見えないのだが、向こう側にいる人影が見えるのである。 女性の方は、仕切の壁から遠ざかって入浴された方がよろしいでしょう。 コップが置いてあったので、飲泉すると僅かに塩味を感じた。 熱めの湯なので、ちょっと浸かっては外で休むのを繰り返していたら、あっという間に時間が経ってしまった。

大塩温泉「温泉館」 100円 13:00〜21:00 無休
 国道254号線から入った所の三叉路のコンクリート壁に薄っすらと、温泉館の矢印が書いてあるので、それに従って左折する。 大塩温泉館は公民館と併設であり、ネット上で建物の外観を覚えていたのですぐ見つけることが出来た。 車を降りると、巨大な2匹の芋虫が懸命に這いつくばっていた。タイヤで踏まなかったのが奇跡的だ。

公民館の外には職員らしき女性が、植え込みの手入れに精を出していた。実にのどかな光景だ。 中に入ると案の定誰もいない。受付の所に入浴料を置き、浴室へ向かう。 ここは数ある武田信玄の隠し湯のひとつで、天文年間に発見された大塩沢の谷に湧く、ラジウムを含んだ秘湯である。 浴室はこれと言って特徴のないものだったが、脱衣所の貼り紙が少々気になった。 「最近湧出量が減っているので、お湯の持ち出しは固く禁じます。」これにはさすがに驚いた。 貼り紙をしなければならない程湧出量が減っていることらしいが、確かに出ているお湯の量は少なかった。 ちなみにくだんの芋虫達は、無事に移動を完了していた模様で一安心。

鹿教湯温泉「町・高梨共同浴場」 100円 朝〜21:30 無休
 実はこの共同浴場に関しては、その道の達人でもあまり知られておらず、知る人ぞ知る穴場だと言えよう。 ネット上で検索をかけた所、抽出されたのはなんと2件だけ。 偶然にも自分のHPでリンクさせて頂いている、IさんとHさんの情報だったのは、僥倖である。 しかし場所に関してはいずれも明記されていないので、てっきり地元民専用だと勘違いをしていた。 前日に泊まった野沢の桐屋さんに置いてあった「ガイドのとら」に正確な位置が記されてあったので、狂喜乱舞した。 鹿教湯温泉の温泉街から少々はずれた場所、町・高梨地区にある共同浴場だ。 通りの反対側に数件の温泉旅館らしき建物があるので、一応それが目印にして行くと分かりやすい。 駐車場はないが、路肩に駐車できるスペースがあるので、そこに車を置く。

 通りからちょっと入った所にある為、外観をあらかじめ知らなければ、そこに温泉があるかどうか分からない程目立たない。 地元民用の共同浴場だが、部外者も脱衣所の料金箱へ100円入れれば利用できる。 料金箱へ100円を入れると、誰もお金を入れていないらしく、お金が入っている気配は感じられなかった。 鹿教湯温泉の共同浴場と言えば文殊の湯が有名だが、最近リニューアルされて以来評価は落ちている。 それだけに、昔ながらの共同浴場の風情を残しているこの温泉は、大切に残していってもらいたい。 入らせていただくという謙虚な姿勢で臨めば、入浴料の不払いなんてことは起きない筈ですが… 脱衣所は、棚の上に蜘蛛の巣があるくらい鄙びていた。しかし浴室に入ってその印象はいい意味で裏切られた。 共同浴場には珍しく、窓が広くとられており、外が丸見えである。 外からの自然光で浴室は明るく、浴槽の水色のタイルがさらに明るいイメージを強調している。 鹿教湯2号、3号、4号、5号、6号の混合泉であり、湯量は豊富で熱めのお湯が掛け流しである。 飲泉すると僅かに硫黄臭がし、硫黄の味がした。ここは、何度でも入ってみたいお湯のひとつになった。 いつまでもこのままの素朴なお湯のままでいて欲しい、切にそう願ってやまない。

沓掛温泉「小倉乃湯」 150円 06:00〜21:00 火曜休
 鹿教湯温泉から曲りくねった細い道で峠を越え、沓掛温泉へ到着する。 夕方の時間帯のせいか、対向車は全く無く、運転には苦労することは無かった。 共同浴場と数件ある温泉旅館の利用客用の駐車場は、日帰り入浴と思しき車で一杯だった。 小倉乃湯の名前は、裏山の山容が京都の小倉山に似ていることから名付けられた。 最近散策路も整備されており、浴後に散策するのも良いでしょう。 温泉の歴史は古く、平安時代にさかのぼる。国司の滋野親王が目を患い、入湯したところ直ったので薬師堂を建てた。 地名の旧称から「浦野の湯」と言われたこともある。文化7年(1810年)の「旅行用心集諸国温泉292ヶ所」にも記載されている。 昔の沓掛温泉は旅宿が数件あって、湯治客で大変賑わい近隣の温泉をはるかに凌いでいたと伝えられる。 昭和46年に田沢温泉と共に国民保養地温泉に指定された。

 [記事抜粋]温泉入口に掲げられていた小倉乃湯の由来

 最近改築されたので、予想以上に立派な造りに驚いた。券売機で入浴券を購入し、脱衣所に入ると丁度夕方の時間の為か、入浴客で大盛況だ。 シャワーとカランはもちろんのこと、浴槽にも人で溢れている。 二槽に分かれた浴槽のうち手前の広い方が温め適温、奥の小さい方はかなり温い。 奥の小さな浴槽は温いせいか、一人分くらいの空間があるのでそちらへ入る。 しばらくすると空いてきたので、豊富な湯量が出ている湯口に肩を当てる。飲泉すると僅かに硫黄臭が感じられた。 温い湯は以前からある源泉を使用しており、浴場の隣にある洗濯場にも引かれている。 温い湯が大変気に入ったので、結局適温の湯にはほとんど入らなかった。 浴後に洗濯場にて飲泉する。この施設は有料で洗濯物などを洗うのだが、洗車料金が設定してあるのには驚いた。 それだけ湯量が豊富な証拠であろう。しかし、硫黄泉で洗車して大丈夫なのだろうかと疑問が残った。 今回は混雑時だったので、空いている時間帯にまた訪れたて、二つの源泉を入り比べてみたい。

田沢温泉「ますや」宿泊 8,500円〜 立ち寄り入浴は不明
 沓掛温泉から田沢温泉へ向かう途中を道端から、突然犬が飛び出してきて車の前を斜めに走り出す。慌てて急ブレーキをかけ、事無きを得る。 「ますや」は松坂慶子主演の「温泉卓球」の舞台として使われたことで、訪れる人も増えているそうだ。 隣にある共同浴場「有乳湯」を中心として数件の木造旅館が立ち並び、小さな温泉街を形成している。 宿の前に専用駐車場があったが、出し入れに難儀しそうだったので、宿の敷地内に停めさせてもらう。 古い旅館だが掃除は行き届いており、階段や廊下は黒光りして長い年月で培われた風格が漂う。 古き良き日本旅館であるが、最近こういう昔ながらの立派な3階建ての木造旅館は少なくなってきている。

 また、この宿には小諸塾で教鞭をとっていた島崎藤村が、明治32年8月に投宿している。 その当時は詩人としては無名であったが、後にその作品で「ますや」を紹介している。
―温泉にもいろいろあるが、山の温泉にはまた別の趣がある。上田に近い別所温泉などは開けた方で、従っていろいろの便利もそなわっている。 しかし山国らしい温泉の感じはかえって田沢などによく味わゝれる。 升屋というのは眺望の良い温泉宿だ。湯川の音の聞こえる楼上で、私達の学校の校長の細君が十四、五人ばかりの女生徒をつれてきているのに会った。
…楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。
…十九夜の月の光が谷間にさし入った。
…翌日は朝霧のこもった渓谷に朝の光が満ち、近い山も高く、家々から立ちのぼる煙は霧よりも白く見えた。
…二十日の月は、その晩おそくなって上った。水の音が枕に響いて眠れないので一たん寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味わった。―

 [記事引用]「千曲川のスケッチ」島崎 藤村著

 宿に着いてすぐにフロントの階下にある家族風呂へ向かう。半円形のタイル貼りの浴槽で、昔ながらの共同浴場の風情に似て好感が持てた。 湯は加熱しているようで、時々ボイラー音が聞こえ、熱くなったり、温くなったりしていた。 僅かに硫黄臭が感じられ、湯の感じは沓掛温泉に似ている。カランやシャワーなど余計なものはなく、シンプルな造りが気に入った。 次に、長い渡り廊下(これがまた鄙びていて風情があるのだが)を通って別棟の大浴場へ向かう。 こちらは、比較的最近増設された模様で綺麗であり、シャワーやカランはもちろん、露天風呂も備わっている。 こちらも加熱しているようだが浴槽が大きいので、当然のことながら湯温は一定である。 掛け流しであるが、家族風呂に比べてやや白っぽい湯である。 小奇麗になっているのでややインパクトに欠けるきらいはあるが、いいお湯であることは間違いない。 露天に行くと、硫黄臭は感じられないが、内湯よりも温く感じられたので、長湯するにはこちらの方がいいでしょう。

 部屋は食事を食べたり、寛いだりするテーブルの置いてある部屋と、寝室用の2部屋が用意されていた。 夕食は正直言ってあまり期待していなかったのだが、鯉の洗いや甘露煮が思いの外美味で、松茸のお吸い物まで出てきて値段の割に充実していた。 9月とは言え日が落ちると急激に冷え込んできて、着いた時には心地良く感じられた風が冷たくなってきた。 食後には2日続けてのお楽しみの卓球だ。卓球温泉を彷彿させる?白熱したラリーも長く続き、いい腹ごなしになった。 一汗かいた後は、内湯に入り一日の疲れを落としてから、部屋へ戻り早めに寝る。

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