この城跡は、天白城と共に馬蹄形状に構築され、南西面に広がる緩斜面には、真田氏館跡や原の郷があり、さらに砥石城・矢沢城を望むことができる。
本郭は東西八・六m南北三十七mの広さで、三の郭と段差を設けながら延び出し、その北側は急崖となって厳重に防備している。
規模が大きく水利もあり、周辺城跡群等の関係からみて、上田城築城以前の真田氏本城であったと推定される。
戦艦にたとえれば「主砲」が一番攻撃的な戸石城、「館長室」にはお屋敷、そして全体を指揮する戦闘指揮所である「艦橋」にあたる真田氏本城があり、背後には「電探」と「後部指揮所」「後部艦橋」にあたる松尾古城が控えるという埋もれた古城さんの意見が、実際に訪れてみて納得できた。
車道があり一応車で登れることにはなっているが、城の直下の取り付け道路を左折することは困難であるため、やむなく徒歩で向かった。蛇足であるが、この城に向かう途中の斜面には一面のお花畑があり、周囲の景色と相まって素晴らしい山上の癒しの場所となっている。