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松本城付近の地図
CASTLE  LIST
信濃の城 ★★★★★
漆黒の天守が山々に映える美しい名城
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 城名  松本城
 国名  信濃国
 住所  長野県松本市丸の内4-1
 別名  深志城
 城郭構造  平城
 築城主  島立右近貞永
 主な城主   島立氏、坂西氏、小笠原氏、石川氏、
  松平氏、堀田氏、水野氏、戸田氏
 遺構  曲輪、堀切、櫓台、土橋、馬出し
 取材年月日   2007年12月29日、2014年1月4日、
  2017年8月8日
 国宝天守を持つ松本城は1504年(永正元年)信濃守護小笠原氏の支族島立右近貞永が、小笠原氏の本城、林城の全面を固めるために築いた深志城が創始と伝えられています。

 その後、戦国動乱の世となり、信濃府中へ天下を目指す甲斐の武田晴信(信玄)が侵入してきました。 1550年(天文19年)に、林城は武田軍の手に落ち、小笠原長時は越後の上杉にはしりました。

 この時から府中は武田の支配下に入り、武田流の土木技術によって広大な縄張りが行われ、三重の堀が姿を現しました。 1582年(天正10年)武田勝頼が自害し織田信長が本能寺で倒されると再び世の中は乱れました。 この機に、長時の子小笠原貞慶が旧領府中を回復し、深志城の名を松本城と改め、城郭の整備拡充を行いました。

 1590年(天正18年)、小田原城の北条氏が豊嘉秀吉に降ると、秀吉は直ちに国割りを行い、松本城に石川数正を入城させました。 この石川数正・康長父子によって城郭の整備が進み、特に康長(三長)は、1593年から94年(文禄2年〜3年)にかけて、門・櫓を造り、堀・石垣を築き、本丸・二の丸御殿を造営し、天守を築造しました。 時あたかも天下人が最後の雌雄を決する緊迫した状況下にあり、豊臣の威光を背景にして、火縄銃を主要武器とする集団戦に備えた強固な平城を完成させました。

 そして泰平の世。1633年(寛永10年)に入城した松平出羽守直政によって、辰巳附櫓と月見櫓が敷設され、無骨な古武士の風貌を思わせる天守に、複雑な構成と彩りを添え、近隣に類を見ない名城となったのです。

 松本城の範囲は、総堀に囲まれた内側を指し、総面積は約39万uあり、その約1/3を三重の水堀が占めています。総堀の内側に三の丸、二の丸、本丸が配置され、三の丸は家臣の屋敷地、外堀で囲まれた二の丸は二の丸御殿、古山地御殿、蔵などが置かれ、内堀と外堀に囲まれた本丸には天守とと本丸御殿がありました。

 その後、松本城は、1727年(享保12年)には本丸御殿を焼失し、江戸時代の末には全国に一八六の城郭が存在していたが明治維新を迎えると、旧物破壊の風潮が起こり多くの城が失われた。 松本城もその波に洗われ、御殿は勿論門・塀や多くの櫓が壊されたり売却されたりした。その他土塁や石垣も崩され、堀も次第に埋め立てられた。

 総面積三九万u(一二万坪)と言われた広い城郭は、内堀を除いて外堀・総堀はその多くが埋められた。 天守も一旦は二三五両永一五〇文で売却され、取り壊し寸前になった。 しかしこれは幸い市川量造氏等の奔走によって買い戻された。 その後次第に城郭保存の風潮が高まり、昭和四年三月国宝保存法が施行されてから昭和二十年までに、全国で二二城が国宝に指定された。 松本城は昭和五年に史跡、十一年に天守が国宝に指定された。

 しかし第二次世界大戦で名古屋、大垣、和歌山、岡山、広島の六城は天守を失い、松前城は火災を受けた。 このため現在保護法による国宝や重要文化財の天守は、わずか十二城にすぎない。

[国宝]
松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城
[重要文化財]
弘前城・丸岡城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城
黒門1
黒門1
松本城1
松本城1
松本城2
松本城2
松本城3
松本城3
松本城4
松本城4
松本城5
松本城5
松本城6
松本城6
松本城7
松本城7
松本城8
松本城8
太鼓門1
太鼓門1
太鼓門2
太鼓門2
黒門2
黒門2
松本城9
松本城9
松本城10
松本城10
松本城11
松本城11
松本城12
松本城12
松本城13
松本城13
松本城14
松本城14
松本城15
松本城15
松本城16
松本城16
松本城17
松本城17
松本城18
松本城18
松本城19
松本城19
松本城20
松本城20
松本城21
松本城21
松本城22
松本城22
松本城歴代藩主
松本城歴代藩主
黒門3
黒門3
本丸御殿跡と松本城1
本丸御殿跡と松本城1
本丸御殿跡と松本城2
本丸御殿跡と松本城2
雪吊りと松本城
雪吊りと松本城
辰巳附櫓と赤い廻縁が巡る月見櫓1
辰巳附櫓と赤い廻縁が巡る月見櫓1
渡櫓と乾小天守
辰巳附櫓と乾小天守
乾小天守1
乾小天守1
大天守のかつての入り口
大天守のかつての入り口
大天守の野面積みの石垣
大天守の野面積みの石垣
大天守を下から見上げてみた
大天守を下から見上げてみた
乾小天守2
乾小天守2
大天守と乾小天守
大天守と乾小天守
大天守一階1
大天守一階1
乾小天守と丸太柱の説明
乾小天守と丸太柱の説明
大天守階段1
大天守階段1
矢狭間と鉄砲狭間1
矢狭間と鉄砲狭間1
松本城は水堀に囲まれていた
松本城は水堀に囲まれていた
松本城の沿革
松本城の沿革
渡櫓二階の説明
渡櫓二階の説明
鬼面鬼瓦
鬼面鬼瓦
大天守一階武者走1
大天守一階武者走1
大天守一階2
大天守一階2
天守大棟の鯱の説明1
天守大棟の鯱の説明1
鯱瓦1
鯱瓦1
蕪懸魚
蕪懸魚
松本城鉄砲蔵の説明
松本城鉄砲蔵の説明
火縄銃1
火縄銃1
火縄銃2
火縄銃2
火縄銃発射法1
火縄銃発射法1
火縄銃の機関部1
火縄銃の機関部1
嘉永元(1848)年、武器類を子供にもわかりやすく覚えられるようにとの趣旨で図説したものをまとめた武器 圖(ぶきにひゃくず)
嘉永元(1848)年、武器類を子供にもわかりやすく
覚えられるようにとの趣旨で図説したものをまとめた
武器 圖(ぶきにひゃくず)
鉄砲頭の当世具足と鉄砲足軽
鉄砲頭の当世具足と鉄砲足軽
大天守階段2
大天守階段2
銃の点火方法の進歩1
銃の点火方法の進歩1
江戸時代に作られた様々な銃
江戸時代に作られた様々な銃
戦国期の弾づくり・火縄づくり/松本城と鉄砲
戦国期の弾づくり・火縄づくり/松本城と鉄砲
大天守二階1
大天守二階1
長篠合戦屏風1
長篠合戦屏風1
大天守三階1
大天守三階1
長篠合戦屏風の説明
長篠合戦屏風の説明
大天守三階2
大天守三階2
大天守四階御座所1
大天守四階御座所1
大天守四階御座所2
大天守四階御座所2
大天守四階から埋橋を望む1
大天守四階から埋橋を望む1
大天守階段の説明1
大天守階段の説明1
大天守五階1
大天守五階1
大天守五階2
大天守五階2
大天守六階の梁1
大天守六階の梁1
東側には思い出の丘・袴越山・武石峰・王ケ鼻・三城・茶臼山が見える
東側には思い出の丘・袴越山・武石峰・王ケ鼻・三城・
茶臼山が見える
本丸御殿跡を見下ろす
本丸御殿跡を見下ろす
南側には思い出の丘・袴越山・武石峰・王ケ鼻・三城・茶臼山が見える
南側には思い出の丘・袴越山・武石峰・王ケ鼻・三城・
茶臼山が見える
南側は松が目立つ
南側は松が目立つ
西側には乗鞍岳・黒沢山・大滝山・鍋冠山・蝶ケ岳・槍ケ岳・常念岳・横通岳・東天井岳・大天井岳・燕岳などの北アルプスの山々が連なる
西側には乗鞍岳・黒沢山・大滝山・鍋冠山・蝶ケ岳・
槍ケ岳・常念岳・横通岳・東天井岳・大天井岳・燕岳
などの北アルプスの山々が連なる
埋橋を見下ろす
埋橋を見下ろす
大天守六階の説明1
大天守六階の説明1
守護神二十六夜社勧請の謂れ1
守護神二十六夜社勧請の謂れ1
北側には旧開智学校が見える
北側には旧開智学校が見える
松本神社を見下ろす
松本神社を見下ろす
大天守六階
大天守六階
大天守四階御座所3
大天守四階御座所3
二の丸御殿跡の発掘と整備
二の丸御殿跡の発掘と整備
二の丸御殿平面図
二の丸御殿平面図
陣笠や遠眼鏡
陣笠や遠眼鏡
月見櫓1
月見櫓1
月見櫓の説明1
月見櫓の説明1
月見櫓2
月見櫓2
新年の飾りつけ
新年の飾りつけ
黒門内側も新年の装い
黒門内側も新年の装い
天守遠望
天守遠望
堀と石垣1
堀と石垣1
堀と石垣2
堀と石垣2
堀と石垣3
堀と石垣3
通行禁止の橋
通行禁止の橋
堀と石垣4
堀と石垣4
堀と石垣5
堀と石垣5
松本城案内図
松本城案内図
二の丸御殿跡1
二の丸御殿跡1
二の丸御殿絵図
二の丸御殿絵図
二の丸御殿跡2
二の丸御殿跡2
二の丸から天守を望む
二の丸から天守を望む
矢狭間と鉄砲狭間
矢狭間と鉄砲狭間
太鼓門枡形一の門
太鼓門枡形一の門
太鼓門枡形の由来
太鼓門枡形の由来
門の脇の巨大な石は太鼓門を造った石川玄蕃頭康長にちなみ玄蕃石と呼ばれる
門の脇の巨大な石は太鼓門を造った石川玄蕃頭康長に
ちなみ玄蕃石と呼ばれる
太鼓門二の門内側
太鼓門二の門内側
太鼓門の乳鋲
太鼓門の乳鋲
太鼓門二の門
太鼓門二の門
太鼓門枡形
太鼓門枡形
太鼓門枡形は1999年3月に復元された
太鼓門枡形は1999年3月に復元された
平成の太鼓門復元の際に梁として使用された樹齢140年の赤松の切り株
平成の太鼓門復元の際に梁として使用された樹齢140年の
赤松の切り株
堀田氏の家紋は石餅に竪木瓜
堀田氏の家紋は石餅に竪木瓜
史跡松本城の概要
史跡松本城の概要
水野氏の家紋は立ち沢瀉に水
水野氏の家紋は立ち沢瀉に水
松平氏の家紋は丸に三つ葉葵
松平氏の家紋は丸に三つ葉葵
戸田氏の家紋は六つ星/九曜
戸田氏の家紋は六つ星/九曜
小笠原氏の家紋は三階菱
小笠原氏の家紋は三階菱
石川氏の家紋は笹竜胆
石川氏の家紋は笹竜胆
松本城23
松本城23
松本城24
松本城24
松本城25
松本城25
松本城26
松本城26
松本城27
松本城27
加藤清正と石川康長の逸話が残る駒つなぎの桜
加藤清正と石川康長の逸話が残る駒つなぎの桜
乾小天守は耐震診断結果を受け、現在非公開です
乾小天守は耐震診断結果を受け、現在非公開です
大天守一階武者走2
大天守一階武者走2
大天守一階2
大天守一階2
大天守一階3
大天守一階3
矢狭間と鉄砲狭間2
矢狭間と鉄砲狭間2
大天守一階4
大天守一階4
石落
石落
鉄砲狭間
鉄砲狭間
石落の説明
石落の説明
壁の構造の説明
壁の構造の説明
保存のために一部切り取った創建当時の二階の壁
保存のために一部切り取った創建当時の二階の壁
天守大棟の鯱の説明2
天守大棟の鯱の説明2
鯱瓦2
鯱瓦2
松本城天守の構造
松本城天守の構造
天守二階の説明
天守二階の説明
大型火縄銃と馬上筒
大型火縄銃と馬上筒
赤羽コレクション1
赤羽コレクション1
赤羽コレクション2
赤羽コレクション2
赤羽コレクション3
赤羽コレクション3
鉄砲のできるまで
鉄砲のできるまで
銃身の製作法
銃身の製作法
鉄棒に瓦金を巻き付けて銃身を作る
鉄棒に瓦金を巻き付けて銃身を作る
鉄砲鍛冶の絵
鉄砲鍛冶の絵
赤羽コレクション4
赤羽コレクション4
火縄銃の製作地と特徴
火縄銃の製作地と特徴
阿波筒(徳島)、堺筒(大阪)、備前筒(岡山)
"阿波筒(徳島)、堺筒(大阪)、備前筒(岡山)
国友筒・日野筒(滋賀)、仙台筒(宮城)
"国友筒・日野筒(滋賀)、仙台筒(宮城)
赤羽コレクション5
赤羽コレクション5
天下をねらう人々と鉄砲の広がり
"天下をねらう人々と鉄砲の広がり
火縄銃の機関部2
火縄銃の機関部2
伝来当時のカラクリに、日本人の器用さと簡素さを加味して完成させた平カラクリ
伝来当時のカラクリに、日本人の器用さと
簡素さを加味して完成させた平カラクリ
寛永年間に、幕府鉄砲方、井上外記正継によって考案された外記カラクリ
寛永年間に、幕府鉄砲方、井上外記正継
によって考案された外記カラクリ
江戸時代中期に開発された、二重ゼンマイカラクリとも言われている蟹の目無き内カラクリ
江戸時代中期に開発された、二重ゼンマイ
カラクリとも言われている蟹の目無き内カラクリ
火縄銃発射法2
火縄銃発射法2
鉄砲組頭当世具足
鉄砲組頭当世具足
鉄砲足軽
鉄砲足軽
銃の点火方法の進歩2
銃の点火方法の進歩2
前装銃から後装銃への発展
前装銃から後装銃への発展
赤羽コレクション6
赤羽コレクション6
戦国期の弾づくり・火縄づくり
戦国期の弾づくり・火縄づくり
松本城と鉄砲
松本城と鉄砲
熱した鉛を玉片に入れ弾を作り、鋳鍋で冷まして、玉箱に保管した
熱した鉛を玉片に入れ弾を作り、鋳鍋で冷まして、
玉箱に保管した
赤羽コレクション7
赤羽コレクション7
赤羽コレクション8
赤羽コレクション8
長篠合戦屏風2
長篠合戦屏風2
長篠合戦屏風3
長篠合戦屏風3
長篠合戦屏風4
長篠合戦屏風4
長篠合戦屏風5
長篠合戦屏風5
長篠合戦屏風6
長篠合戦屏風6
長篠合戦屏風7
長篠合戦屏風7
長篠合戦屏風8
長篠合戦屏風8
指火式銃 大砲 船載砲(ランタカ砲)
指火式銃 大砲 船載砲(ランタカ砲)
大天守四階から埋橋を望む2
大天守四階から埋橋を望む2
大天守階段の説明2
大天守階段の説明2
大天守四階から埋橋を望む3
大天守四階から埋橋を望む3
守護神二十六夜社勧請の謂れ2
守護神二十六夜社勧請の謂れ2
関東の月待ち信仰を松本に持ち込んだのは、戸田家であり、古くから二十六夜神を祀って、藩士に酒肴をたまわる行事が伝わっていたという。
関東の月待ち信仰を松本に持ち込んだのは、戸田家であり、
古くから二十六夜神を祀って、藩士に酒肴をたまわる
行事が伝わっていたという。
国宝指定書
国宝指定書
大天守六階の説明2
大天守六階の説明2
大天守六階の梁2
大天守六階の梁2
大天守六階の梁3
大天守六階の梁3
大天守階段3
大天守階段3
大天守四階の説明
大天守四階の説明
大天守四階御座所4
大天守四階御座所4
大天守四階御座所5
大天守四階御座所5
花頭窓の説明
花頭窓の説明
花頭窓
花頭窓
様々な変わり弾
様々な変わり弾
火縄銃にかかわる装備
火縄銃にかかわる装備
左上の突起物の沢山ある物が気になる
左上の突起物の沢山ある物が気になる
鉄砲足軽にとって陣笠は気休めにすぎない
鉄砲足軽にとって陣笠は気休めにすぎない
松本藩で使われていた鉄砲の玉薬保管箱
松本藩で使われていた鉄砲の玉薬保管箱
月見櫓の説明2
月見櫓の説明2
大天守1
大天守1
大天守2
大天守2
大天守と渡櫓と乾小天守
大天守と渡櫓と乾小天守
辰巳附櫓と赤い廻縁が巡る月見櫓2
辰巳附櫓と赤い廻縁が巡る月見櫓2
林城の小笠原長時が武田信玄に攻めらて落ち延びる際に、大切にしていた白牡丹を里山辺の兎川寺に託した。兎川寺檀家の久根下家が守り続けた小笠原牡丹は400年以上の時を経て林城の支城であった深志城改め松本城の本丸庭園に移植された。
林城の小笠原長時が武田信玄に攻めらて落ち延びる際に、
大切にしていた白牡丹を里山辺の兎川寺に託した。
兎川寺檀家の久根下家が守り続けた小笠原牡丹は、
400年以上の時を経て林城の支城であった深志城改め
松本城の本丸庭園に移植された。
松本城28
松本城28
松本城29
松本城29
松本城30
松本城30
松本城31
松本城31
松本城32
松本城32
松本城33
松本城33
松本城34
松本城34
松本城35
松本城35
松本城36
松本城36
松本城37
松本城37
松本城38
松本城38
松本城39
松本城39
松本城と埋橋
松本城と埋橋
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