姨捨駅
開業 明治33(1900)年11月1日(篠ノ井〜西条間開通)
海抜 547m
勾配 1000分の25
ホーム スイッチバック(S式停車場)
車窓 日本三大車窓のひとつ 肥薩線大畑駅、根室本線狩勝(現在は線路付替によりトンネル内を走っている)
眺望 しなの鉄道(戸倉・屋代・屋代高校前)、信越本線(篠ノ井・今井・川中島・安茂里・長野・北長野・三才)、
篠ノ井線(稲荷山)善光寺平の眺望そして鏡合山から上る月がゆるやかに里に続く棚田や千曲川に映える美しさは、
古来よりこの地を田毎の月と呼んでいる。姨捨公園長楽寺境内には名月に感動し更科紀行で詠んだ松尾芭蕉を
はじめ、高浜虚子、宗祇法師などの句碑が建てられている。
姨捨についての昔話
昔、信濃の国に年寄りの大嫌いな殿様がいた。彼は70歳になった老人は山へ捨ててくるよう国中におふれを出した。
ある月明かりの夜、一人の若者が年老いた母を背負って山へ登って行った。
彼の母親は70歳になったので山に捨てなければならなかった。しかしいざ山へ登り、捨てるという時に、どうしても捨てることが出来ず、
そのまま母を背負って山を下り、こっそり床下に穴を掘って母をかくまっていたのである。
この頃、殿様のもとへ、隣国から使者がやって来て「灰で縄をなえ、九曲の玉に糸を通せ、さもないと国を攻める。」
という難題をもちかけてきたのである。困った殿様は、おふれを出し、この難題を解ける知恵者を探し求めた。
これを知った若者が、床下の母に尋ねると、母は塩水にひたした藁でなった縄を焼けばよいこと、
玉の一方に蜜を塗り、その反対側から糸をゆわえた蟻を通せばいいと教えてくれた。
若者は、さっそく殿様に申し出て、この方法を知らせたのであった。
すんでのところで国難を救われた殿様はたいそう喜び、若者にほうびをとらせようとした。
「なんなりと申すがよい。ほうびは望むままに進ぜよう。」「ほうびはいりません。ただ、老いた母を助けてください。
実は、この知恵をさずけてくれたのは、70歳になった私の母です。」若者は、涙ながらに母親のことを打ち明けたのである。
国難を救ったのが老婆の知恵であると知った殿様は、いたく感銘し、この時はじめて老人を大切にすべきことを悟ったのだった。
むろん姨捨のおふれはほどなく廃止されたということである。
[記事引用・抜粋] 姨捨駅の案内板
取材年月日2001年9月21日、2002年6月15日、2004年3月19日、2013年12月29日