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 TRAIN GALLERY >駅舎編
 飯田線 小和田駅
 静岡・長野・愛知三県分境の駅
飯田線・きのくにシーサイド・白浜温泉・京都カフェ巡り

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小和田駅

■沿革
 駅前まで車の乗り入れが出来ない小和田駅は、飯田線や秘境の駅を訪ねることが好きな人には絶大な人気を誇る。 1993(平成5)年6月の「皇太子殿下・小和田雅子様御成婚」の際には、「こわだ」と読み方こそ違えど雅子様の苗字にあやかろうとする人が押し寄せたそうだ。 かつて天竜川は暴れ川の異名を持ち度々水害をもたらしたそうだが、佐久間ダムが出来てからというもの牙を抜かれたようにおとなしくなっている。 小和田駅のホームからも天竜川の流れを見ることが出来、駅名票が立っているあたりからちらっと眺めることが出来る。 佐久間ダムの完成と同時に飯田線の沿線はすっかり様変わりした。 ダム完成に伴い線路が標高の高い部分に付け替えられたり、集落が水没したりして、ただでさえ少なかった人口が減ってしまった。 ダムが出来る前の小和田駅の駅前には集落や対岸の富山村へ渡る橋もあり、現在のような陸の孤島ではなかった。 現在駅の周辺にある建物はすべて廃墟になっており、民家は中井侍方面へ約1kmほどの場所にたった1軒あるのみだ。 この駅の利用者は地元住民や駅舎ファンの外に、郵便配達員やJR東海新城保線区の保線作業員も利用している。 大嵐方向のトンネルの手前には保線詰所が設置されているが、ここはかつての貨物ホームだ。 駅構内には貨物ホームと本線とを行き来する為に設置されている 転轍機があるが、無人化されて以来、使われることはもうないのだろうか? 駅舎の入り口の花がしおれていないことを考えると、無人駅になった今でもこの駅が地元の人にいかに大切にされているか分かる。

■駅構内
 小和田駅の駅舎のある方のホームに降りると、「静岡・長野・愛知三県分境」の看板があるのに気が付く。 小和田駅は静岡県、下を流れる天竜川の対岸が愛知県、中井侍寄りで天竜川に合流する河内川の対岸が長野県となっている。 他に目に付いたのは「御成婚ブーム」の時に便乗して設置されたと思われる「恋愛成就駅小和田」の碑がひっそりと木の枝に隠れてひっそりと立っているくらいだ。 狭隘な土地に駅が造られていることの多いこのあたりの駅に比べると、この小和田駅は相対式2面2線という贅沢な造りになっている。 あくまでも推測だが、小和田駅で上下列車の交換が行われるのは、7時41分発飯田行普通列車1503Mと 7時40分頃に通過する豊橋行き快速1420Mだけだと思われる。(2003年7月の時刻表による) しかし隣の大嵐駅でも行き違い設備があるので、もしかしたら小和田駅で上下列車の交換は全く行われないのかもしれない。

 1936(昭和11)年に駅が設置されて以来有人駅だったが、CTCが導入に伴い無人駅となる。 1993(平成5)年には「御成婚ブーム」で駅の乗降客が急増した関係で、入場券や記念品販売の要員として駅員が配置されたこともある。 小和田駅は、飯田線内でも珍しい存在となりつつある木造板張りの駅舎の最高傑作と言えよう。 ホーム側から順に解説していこう。まず水が細く出しっぱなしにしてある水道の蛇口があり、「水を止めないで下さい 小和田駅長」 との注意書きがしてある。この注意書きは、恐らく小和田駅最後の駅長の手によるものと思われる。 そして壁には昭和の臭いを今に伝える古風な駅名票が掲げられている。 改札口はないが、駅舎に入ろうとすると入口の上部に「花嫁号」のヘッドマークが掲げられているのに気が付く。 これは御成婚とは全く無関係らしく、「小和田駅での結婚式」で運転されたイベント列車のヘッドマークとして掲げられていたものらしい。 駅舎内の待合室にはそのイベントの際に撮影された写真が飾られている。 待合室内には長野・愛知・静岡の3県が色分けされた手作りの周辺地図も掲げられてあり、この駅の立地条件が一目瞭然で分かる。 待合室中央には木製の机と椅子があり、机の上には歴代の駅ノートが置かれている。 駅ノートに足跡を残そうと思ったが、夕刻の為待合室は薄暗い為、やむなく外へ出て書き込みをする。 待合室には蛍光灯があり電気が通じている筈なのだが、スイッチのありかは分からなかった。 駅舎の入口には今時珍しい木製のガラス格子の入った立派な扉が設置されている。 通常小和田駅舎は 扉を開けた状態で紹介されることが多いが、扉を閉めた状態で撮影をしたかったので、扉を閉める。 が、建て付けが悪く閉めるのに難儀であった。特別な理由がない場合は手を触れない方がいいでしょう。 待合室の窓際にはベンチがあるが、お決まりの虫の死骸などがあり、座る気にはなれなかった。 ただし、綺麗に掃除して寝袋を使えば立派な寝台として使えそうである。「秘境駅へ行こう!」の著者牛山氏もそうしたと思われる。 飯田線のこの地域は山峡の為、携帯電話の電波も届かないという理由から、待合室にあるカード式の公衆電話は必須アイテムと言えよう。

■周辺の見所
 駅前にはトイレがあり、汲み取り式の男女共用のトイレと男子小用の便器が設置されている。 駅舎を出るとすぐに下り坂となっていて、右下に 木造の廊下のついた建物が見える。 坂の突き当たりには、「御成婚ブーム」の時に建てられたあずまやと「愛の椅子」があるが、江戸文字で「愛」と描かれた滑稽にさえ見えるその椅子は、汚れが目立ち、話の種に撮影するにとどめる。 駅からの下り坂はあずまやの所で右折し、さらに右下方向の天竜川沿いの道へ続いている。 坂道がもう一度右へ曲がるところに直進方向と右側へ矢印の標識が設置されている。

 直進方向は小和田池神社へ至る道で、天竜川方向へ草に覆われつつある階段を降りると、天竜川の流れが見える。 階段を降りると道はすぐに左に曲がり、左手に廃屋になった建物を見ながら、小さなせせらぎを渡って天竜川沿いの森の中へ分け入る。 人があまり通らなくなったハイキングコースといった感じで、蜘蛛の巣や倒木に注意しながら進んでいく。 神社というので立派なものを期待していたが、小さな祠がポツンとあるだけで拍子抜けだった。 この祠はダム建設に伴いここへ移設されたそうだが、駅周辺には神社の境内にふさわしい平地がなかったのでこの場所に落ち着いたのであろう。 この道はここで行き止まりになっているので、往復してもそれほど時間はかからないので暇つぶしにはいいかもしれません。

 先程の標識のある分岐点へ戻ると比較的大きな建物がある。 駅周辺の廃屋の中でも最も状態が良いのは時々使われているからだそうだ。 こちらはしばらく天竜川沿いに上流に向かってほぼ平らな道が続く。こちらは簡易舗装がされており、風光明媚な眺めもあいまって歩くスピードもついついゆっくりになる。 しばらく行くと上り坂が始まる。小さな流れを越える所で頭上を走る飯田線のガードと 可憐な山百合を見つけて、ここで引き返す。この先には民家が1軒あり、さらに塩沢集落を経由して天竜川林道へ続いているそうだ。

取材年月日2003年7月19日
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