井川線の歴史
井川線は大井川上流部の開発に伴う資材輸送用の路線として形成された。
昭和10年(1935年)大井川電力が千頭−奥泉大井川堰堤(現アプトいちしろ付近)間の軌間762mmで開業し、
大井川本線との直接運転を考慮して昭和11年(1936年)に1067mmに変更した。
昭和29年(1954年)中部電力が井川ダム建設の資材輸送用に堂平まで開通させた。
ダム建設終了後、昭和34年(1959年)大井川鉄道は中部電力から譲り受け地方鉄道免許を取得して旅客営業を開始する。
大井川に添うように急曲線、急勾配の続く非常に厳しい線形である為、車両は小さく軽便鉄道のような趣がある。
しかしながられっきとした1067mmの軌間であっても、もともと旅客営業を想定していなかったので、
車両限界が低いので軽便鉄道並みの規格なのである。
アプトいちしろ−長島ダム間がDC1500Vの電化区間である他は、非電化区間である。
大井川上流部に建設される長島ダムの建設に伴い川根市代(現アプトいちしろ)−川根長島(現接阻峡温泉)間が水没するのに伴い、
路線付け替えが行われアプトいちしろ〜長島ダム間の約1.5kmは90‰(パーミル)勾配が存在する国内鉄道の最急勾配の区間となった。
ちなみに箱根登山鉄道の最急勾配は80‰、旧信越本線横川〜軽井沢間の碓氷峠の最急勾配は66.7‰である。
平成2年(1990)10月1日より(注)アプト式で列車を運転したことは、故宮脇氏が
夢の山岳鉄道
という著書の中で述べていることが実現したものと言えよう。
(注)レールの間の歯型レールと、アプト式電気機関車のギヤをかみ合わせて登り降りするシステム。
かつて旧信越本線横川〜軽井沢間の碓氷峠で採用されたことがあるが、現在日本ではここだけにしかない。
井川線の見所
かつて千頭駅から沢間駅の間は三線軌条が敷かれ、沢間駅で分岐して寸又川を遡る千頭森林鉄道という森林鉄道があった。
筏流しで材木を下流へ運搬していたが、ダムの建設でそれが不可能となる為に代替手段として敷設された国営の森林鉄道。
千頭駅近くの貯木場跡や寸又峡温泉の入口に、かつての森林鉄道の車両が保存されている。
森林鉄道の廃線跡は井川線よりも、むしろ寸又峡温泉付近で容易に見ることが出来る。
寸又峡温泉にある神社へ続く道をオーバーハングしている場所や、寸又峡名物である「夢の吊橋」を巡る
一般車両通行止めのハイキングコースは森林鉄道跡を舗装整備して、転用したものである。
注意深く観察しながら歩いていると森林鉄道のレールが道端に放置されていたり、
観光客向けに森林鉄道の歴史を解説する掲示板などがあり、観光を兼ねた廃線跡巡りを手軽に楽しめるコースとしておすすめ。
奥泉駅前バス停からは寸又峡温泉行きのバスが運行されている為、乗降客は結構多い。
アプトいちしろ駅ではアプト式電気機関車のED90が補機として後部に連結され、一気に約90m上りアプト式区間が終わる。
長島ダム駅ではアプト式機関車とあっけなく別れ、平成14年(2002年)3月に完成した長島ダムが眼前に広がる。
長島ダムを望むひらんだ駅付近の湖上は、平成15年(2003年)9月に行われる第58回静岡国体のカヌー競技が行われる。
奥大井湖上駅は、ダム湖に突出した岬の場所に設置された駅で中部の駅百選に選ばれている。
駅前のレイクコテージ奥大井という町営の無料休憩場の二階からの眺めは、ダム湖や高さ70mのレインボーブリッジが一望できる。
長島ダム駅から隣の接岨峡温泉駅まで、レインボーブリッジを渡る遊歩道を散策するのもいいでしょう。
接阻峡温泉は対岸に温泉街が広がり、接岨峡温泉会館や数軒の民宿などがある。
尾盛駅はユーモラスなタヌキの親子が出迎えてくれることで知られるが、人家はもちろん駅に通じる道が全く存在しない秘境駅だ。
この駅は牛山隆信氏が著作
秘境駅へ行こう!で
紹介して以来、訪れる人が増えてきたとか。
尾盛駅〜閑蔵駅の関の沢にかかる高さ私鉄日本一97mの関の沢橋梁は、沿線随一の紅葉の名所として知られる。
閑蔵駅と井川駅は何と静岡市内である。こんな山奥なのにほとんど飛び地のような存在だ!
スイッチバックの井川駅からまだ先に見えるトンネルに線路が続いているのが見える。
これは、中部電力が井川ダム建設の為に堂平まで敷設した堂平側線と呼ばれる線路である。
井川ダム自体は昭和32年(1957年)に完成し、昭和40年代にはダム関連の資材輸送がほぼ終了し、
昭和46年(1971年)に営業廃止となる。昭和63年、大井川上流に赤石発電所の建設が始まり、再び資材輸送の任を受けて
井川〜堂平間は井川駅の「構外側線」として復活する。
平成8年まで列車が通った堂平側線だが、現在は、井川駅に隣接する、トンネルの一部を留置線として使用しているのみ。
線路自体ははがされずに残っている為、地元有志の間では一時期この路線を観光鉄道として利用しようという話が持ち上がったが、
未だに実現していない。
ED90
平成元年(1989年) 日立製作所製造
井川線ではアプトいちしろ〜長島ダムの区間だけ規格が高く、車両限界が大きい為他の車両より1.5倍近く大きく、DD20と連結すると車幅がほとんど同じ分、背の高さが特に目立つ。
DD20
昭和57年(1982年) 日本車両製造
ヘッドライトは3灯で、うち下部の1灯はカーブに応じて角度を変えることが出来る。大井川鉄道はブリエンツ・ロートホルン鉄道と姉妹鉄道の関係にあることからちなんでロートホルン型という愛称が付けられているいる。
取材年月日 1994年3月24日