居組駅
明治44年11月10日開業。秘境駅の中でも○○本線という幹線に存在するのは非常に珍しい。
しかし、故宮脇俊三氏が山陰本線を「偉大なローカル幹線」と名付けたのを思い起こせば、山陰本線の県境にはいくらでも秘境駅がありそうな気がしてくる。
鳥取駅はかにの駅弁で有名だが、早朝の時間帯にはいくつもある売店のうちたった一軒しか開いていなかった。
山陰のかにの駅弁は総じて酢飯の酢がきついので、酢が苦手な自分としてはあまりいい印象がない。
いくつか種類のある駅弁の中から2種類の駅弁を買って、高架のホームに上がる。
下りホームには新型の特急列車が停まっており、やってきた上り普通列車はこれまた新造の気動車。
ロングシートでないのは嬉しいのだが、たった1両なので乗車率は結構高い。
乗っているのは学生ばかりなのですぐに降りてしまうのだろうから、早朝なので1両で事足りるのであろう。
次の福部駅で対向列車の時間待ちとのことなので、また新造の気動車かと思いきや懐かしい赤い気動車がやって来た。
せっかく秘境駅を訪れるのだから旧型の気動車に乗って行きたかったのだが、なかなかうまくいかないものだ。
因幡の国から但馬の国にかけてのこのあたりの日本海沿いには岩井温泉、湯村温泉、浜坂温泉と名だたる温泉が点在する。
香住から城崎温泉にかけても車窓から温泉旅館の看板を幾度も見かけることが出来る。
温泉好きには魅力的な地域だが、因幡と但馬の境の山中の居組には残念ながら何もない。
大岩、岩美、東浜と停車し、国境のトンネルを抜けるといよいよ居組だ。
山陰本線のこのあたりの地域は一度だけ寝台特急出雲で通っただけなので、実質的に車窓風景を見るのは初めてである。
予想以上に広い構内に木造のしっかりした風格を感じさせる駅舎が出迎えてくれる。
山陰本線の木造駅舎を訪れたのは温泉津駅のみだったのだが、居組は温泉津と同じくらいの古さを感じた。
確かに調べてみると温泉津の方が西に位置するので若干開業年度が新しい。
島式2面3線のプラットホームになっているのは、蒸気機関車時代の行き違い設備が必要だった頃の名残なのかもしれない。
本来の行き違いの為にホームが機能しているかどうかは疑わしいが、荒天時に寝台特急出雲がこの居組で運転打ち切りになったこともあり、
緊急時の避難場所として活用されるのは喜ばしい。
駅員無配置になってから20年以上経つにも関わらず駅舎の保存状態は極めて良好だ。
ただ汲み取り式のトイレが老朽化の為閉鎖されているのが惜しい。
訪れた頃は丁度紫陽花の最盛期にあたり、駅から集落へ向かう下り坂に咲き誇っていたのが印象的だった。
駅の正面には古びた板で出来た立派な駅名票があり、鉄道全盛期を彷彿とさせる象徴的な遺物となっている。
照明設備がなく早朝の為か日当たりが悪い立地条件の為駅舎内は薄暗いが、目を凝らして観察すると荷物を置く台には古めかしい装飾が残っていた。
ホームにはスピーカーが設置されていたが、列車が入線してくる前にスピーカーから案内放送が流れたのには驚いた。
跨線橋の階段をベンチ代わりにして鳥取駅で買い求めた駅弁を開いてみる。
幸いなことにひとつは酢飯ではなくかにの炊き込みご飯だったので、嬉々として分け前の半分をあっと言う間に平らげた。
ホームにいた時には周囲の情況が良く分からなかったので、対向ホームへ向かう跨線橋に上がって見渡してみると寂しい山中にこれほど立派な駅が設置されたことに驚きを感じ得なかった。
鳥取方のトンネルから白い煙が湧き出してくる。何だろうかと思っているとしばらくして浜坂行きの上り列車が現れた。
しかも秘境駅に似つかわしい旧型の赤い気動車だ。浜坂あたりに所要で行くと思われる地元のおばさんと一緒に乗り込んで一時間足らずの秘境駅訪問はあっという間に幕を閉じた。
取材年月日2004年6月20日