デハ301
昭和5年(1930年) 新潟鉄工所製造
鶴見臨港鉄道〜国鉄鶴見線で活躍していたモハ115は、昭和23年(1948年)に鶴見線の昇圧をきっかけに働き場所を失う。
昭和26年(1951年)に日本鉄道自動車で改造を受け、銚子電鉄へやって来た。
集電装置は製造当初から国鉄時代まではパンタグラフだったが、銚子電鉄入りする際にポールに取り替えられ、更に昭和41年(1966年)にビューゲルに交換され、平成3年(1991年)4月にパンタグラフに戻された。
国鉄、北恵那鉄道、上毛電気鉄道、静岡鉄道、上田丸子電鉄、山形交通に残っていた同型の車両は全て廃車となっている。
従ってこのデハ301は、鶴見臨港鉄道の電車、最後の生き残りということになる。
元帝都高速度交通営団2000系の1000系の導入後もしばらく現役で走っていたが、ワンマン化されなかった為か、現在は予備車扱いとなっている。
取材年月日 1994年8月14日
デハ701
昭和17年(1942年) 日本鉄道自動車製造
元近江鉄道モハ51。昭和36年(1961年)片運転台化、昭和53年(1978年)同線入線時の両運転台化された為、銚子寄りが2枚窓。外川寄りが3枚窓と両端の顔が異なっている。
1995年6月24日の笠上黒生での1001との衝突事故を乗り越えて、現役で走っている。
701は黄色い塗装だが、702は銚子電鉄標準仕様のツートンカラーになっていた。
つり革が木製でハートの形をしていたので、カップルで乗るにはいいかもしれない。
取材年月日 1994年8月14日
デハ801
昭和25年(1950年)5月 帝国車両製造
伊予鉄道の郡中線電化時に導入されたクハ405が、昭和36年(1961年)に電動車化されモハ106となる。
昭和61年(1986年)に伊予鉄道より銚子電鉄へやって来た。
取材年月日 1994年8月14日
デキ3
大正12年(1922年) ドイツ・アルゲマイネ(A・E・G)製造、重量10t・全長4.47m
昭和16年(1941年)に宇部の沖之山炭鉱より銚子電鉄へやって来た。
工場構内や鉱山などでの入換用に使用されるべき大きさの機関車だが、当初は貨車以外に客車も牽引していた。
仲ノ町駅に隣接するヤマサ醤油の食塩を運ぶ貨物列車牽引・入換作業用に銚子〜仲ノ町間で活躍した。
昭和59年に貨物輸送が廃止されてから、一度本線走行したが、以来動いていない。
当時は電車と同じツートンカラーだったが、後に黒一色に戻された。
この日本一小さな電気機関車は銚子電鉄のシンボルと言える存在で、鉄道ファンには特に人気がある。
取材年月日 1994年8月14日
ユ101「澪つくし号」
昭和60年(1985年)NHKの朝の連続TV小説「澪つくし」が銚子電鉄も舞台として制作された事を記念し、旧国鉄の有蓋貨車ワム80000型を大宮工場で大改造して作られた展望車。
4月20日〜10月10日の土曜・休日(夏休み期間は毎日)に1〜6往復運行されている。
昭和60年(1985年)年8月4日の使用開始日に、ドラマのヒロイン沢口靖子が銚子にやって来て展望車を「澪つくし号」と命名したという逸話が残っている。
車体のダイナミックなペイントは犬吠埼の空と海と波を表現している。
車掌兼販売員が乗り込み、ラムネやイカ焼きなどが飛ぶように売れていた。
取材年月日 1994年8月14日