人吉を初めて訪れたのは、全国のJRを乗りつぶしている時だった。駅前銭湯情報なる本に人吉の数多くの温泉が掲載されており、チェックして楽しみにしていた。青井阿蘇神社に参拝し、駅前で米焼酎のワンカップを購入した時点でタイムオーバーになって温泉に浸かる暇がなかった。
その後温泉に詳しくなるにつれ、人吉には昭和初期の面影を残す共同浴場が数多く存在することを知る。その中でも鶴亀温泉といういかにも縁起の良さそうなこの温泉は、その外観からして昭和初期の面影を残す鄙びの極致という呼び名がふさわしい。共同浴場と言えば、草津や野沢などに何度も行っているが、多くは定期的に建て替えられて昭和の時代の共同浴場は存在しない。
数多くの鉄道旅行家にも人吉は絶賛されているが、個人的に鉄道と温泉が好きなのでそれに大好きな城跡が存在する人吉は夢の様な街である。さよなら、アルマ〜赤紙をもらった犬〜で主人公のアルマが軍用犬の試験を受けていたロケ地が人吉城跡だということを知り、この作品でヒロインを演じていた仲里依紗のファンとして是非訪れたい所だったが、温泉に執着するあまり訪れることが出来なかった。
人吉に着いて駅前のからくり時計を鑑賞し、お土産を買い、青井阿蘇神社に参拝し、神社の近くの本日の宿に荷物を預けて真っ先に向かったのが鶴亀温泉だ。
駅前からJR肥薩線沿いに歩き、踏切を渡って住宅街を進むと唐突に現れるこの温泉は一見すると小学校の分校かと思われる鄙びた佇まいが素晴らしい。この温泉は数年前に源泉が枯渇してしまい、その後ボーリングして復活したそうだったので、本当にやっているかたどり着くまで半信半疑だった。のれんが掛かっており、地元のおばちゃんが気軽に訪れているのを見て営業している確認が出来て安心した。
最近所有者が病院に変わったそうで、その時に改築された際に脱衣所の壁一面に掲げられていた古い看板が撤去されたのは残念なことだ。脱衣所の床がリニューアルされ、浴室の引き戸がサッシ化されているが、浴室には昭和12年の開業当時の面影が色濃く残っている。
浴室の壁面と床面が石造り、窓枠が全て木製、男湯と女湯の仕切りの曇りガラス、ここまでは新温泉と共通しているのだが、決定的に違うのが仕切りの曇りガラスの上が空いていることだった。新温泉は不粋な青いプラスチック建材で塞がれているが、鶴亀温泉は開放的で遠くまで見渡せ、窓からの陽光が入って明るい雰囲気になっている。特徴的なのは手前側が子供用なのか寝湯なのかは分からないが、極端に浅い浴槽になっていることだ。実はこの時、動画撮影にチャレンジしてこの浅い浴槽で見事に引っくり返り、負傷してしまった。少しばかり底のほうがぬめっていて滑りやすいのでご注意下さい。
とどのつまりが湯口が恵比寿様なのである!これには流石に驚いた。神様が祀られている温泉は多いのだが、神様の口からお湯が出ているのを見たのは初めてである。わずかに褐色を帯びているお湯はモール臭と硫黄臭が感じられ、これで泡が付いていたら大好きな山口温泉にそっくりのお湯である。
脱衣所から階段を下りていく構造なので、浴槽に浸かりながら脱衣所を仰ぎ見る雰囲気がいい。脱衣所自体は新温泉の方が古くて好ましいのだが、浴室からの距離が遠いのと薄暗いので明るい雰囲気の鶴亀温泉の方にあえて軍配を上げたい。ここは毎日通ってみたくなるような庶民的なオーラを建物全体と浴室の作りに特に感じた。