平賀敬という画家をご存知だろうか?1936年生まれのアバンギャルド戯画家で、30歳で渡欧し、パリの影響をものすごく受けている。ピカソの画風に似た作品もあるし、娼婦がほとんどの画に出て来るのが特徴的だ。登場人物たちの顔は一風変っていて、鼻が細く尖り目が切れ長で美男美女という訳ではないのだが、絵画の良し悪しはともかく一度見たら脳裏に焼き付くような作風だ。その故平賀敬氏の住居を管理している奥さんの幸さんが、2005年11月に美術館として公開を始めた。この建物はもともと「萬翠楼 福住」の別荘として明治後期に建てられ、井上馨、犬養毅、近衛文麿など明治の元勲が逗留した由緒あるもので、2003年に国の登録有形文化財に指定されている。玄関で料金を払って館内へ向かうと、館内廊下にから早くも平賀敬氏の作品がこれでもかと展示されています。特に蔵の中に大判の画が多数掲げられてあるのは必見かと思います。作品については、著作権等の問題があるので掲載は差し控えさせていただきます。
ひととおり館内の作品を見終わって休憩させてもらっていると、平賀敬氏の未亡人幸さんが温泉について語り始めた。ここで使っている温泉は、「萬翠楼 福住」で使っている温泉の湯元であるそうだ。浴室に掲げられていた温泉分析表には源泉名:福住湧泉、台帳番号 湯本第3号、源泉 42.4℃とある。「萬翠楼 福住」の公式サイトによると、湯本第3号は、明治時代に横穴掘削で開発した源泉で、普段は扉で閉ざされている入口から20mほど奥にあり、自噴しています。平賀敬美術館の前身が「萬翠楼 福住」の別荘であることから、湯本第3号が、美術館の裏手にある横穴源泉のひとつであると推測される。
話がややこしくなるが、福住横穴湧泉というものは複数の源泉が存在するようだ。平賀敬美術館裏手にある福住横穴湧泉で湧出しているのが、湯本3号、湯本7号。神湯泉源地で湧出しているのが、湯本第9号(神湯)、湯本第41号(神湯新)。神湯泉源地から熊野神社へ登る階段の右側に各旅館へ配湯のパイプが見える。手前のグループが湯本7号と湯本第9号(神湯)、奥が湯本第41号(神湯新)らしい。箱根湯本界隈の各旅館にはこれらが配湯されているが、36.0℃の湯本7号・湯本第9号(神湯)・湯本第41号(神湯新)混合泉をベースにして加温用に54.5℃の湯本第41号(神湯新)という湯使いがされている。個人的には温いお湯が好きなので36.7℃の湯本7号・湯本第9号(神湯)混合泉のみ使用の浴室がある住吉旅館が廃業したのが痛い。
いずれにしても加温する必要のない敷地内で湧出する源泉を楽しめるという点では、箱根湯本一のお湯の良さと言っていいだろう。建物が登録有形文化財に登録されているバリバリの和の粋を凝らしているのに対し、浴室のスペイン産の大理石のギャップに驚かされる。浴室は、御付の人が利用した第壹號浴室と賓客用の第貳號浴室に分かれているが、湯量の減少により現在は第貳號浴室のみ使われている。
脱衣所と浴室が一体化しており、脱衣所から一段下がった位置に浴室がある。真っ先に目が行ったのはトド用の寝枕だった。こんな雅なものが存在しようとは、さすが美術館の湯である。塩ビのパイプの上に竹筒をかぶせた湯口からは、適温のお湯になるように適切な量が注がれている。陶器製の寝枕に頭を載せて床に身体を横たえてトドになってみると、浴槽から溢れてくるお湯が身体を温めてくれて、何とも気持ちがいい。浴室の下半分は大理石だが、窓から上は和風建築で、ほの暗い裸電球が温泉情緒を高めてくれる。窓の外には鉄格子があるが、これは要人暗殺を警戒した明治時代の遺物だそうだ。天井には湯気抜きの為に珍しい意匠の作りがされているのも見逃せない。
浴後に再び休憩していると薄緑色の水差しに入った山の湧き水が青いグラスで供された。団扇、籐の椅子、御簾、ぶたさんの蚊取り線香容器、レトロな扇風機、下駄、庭のオブジェなど全てが生きた美術館の作品となっている。日本は古い建築物を保存することにあまり熱心ではないが、箱根湯本でこれだけ古い建築物が保存されている事自体が奇跡だ。開館当時は知る人ぞ知るという秘湯だったが、温泉マニアや美術鑑賞家を中心としてかなり認知度が高まって来ているようだ。