日本三大古湯は、有馬の湯、牟婁(白浜)の湯、伊予(道後)の湯とされ、白浜温泉は、日本書紀に記述が残るほど歴史のある温泉だ。入口の前に建てられている「湯崎七湯」という石碑によると「湯崎は昔、牟婁の湯と呼ばれ七湯(崎の湯・浜の湯・元湯・砿湯(まぶゆ)・粟湯・疝気湯(せんきゆ)・屋形湯)からなり、斉明(さいめい)、天智(てんじ)、持統(じとう)、文武(もんむ)の諸帝が臨幸の際沐浴(もくよく)された」と日本書紀に記されているそうだ。牟婁の名前が授けられたこの共同浴場は古来からの湯の特徴を残していることから名づけられたのではと思う。
マピオンの地図を見るとまぶ湯バス停と湯崎バス停の中間あたりに牟婁の湯はある。かつては湯崎七湯のひとつとなぞらえられた共同浴場の最大の特徴は、砿湯(まぶゆ)と行幸湯(みゆきゆ)が同時に楽しめることだ。共同浴場で2つの源泉が楽しめるところなんて聞いたことがない。白い砂が美しい白良浜から程近いこの共同浴場は内湯のみで眺望はきかないが、加水されているものの塩辛い食塩泉が掛け流されている。砿湯(まぶゆ)は、打たせ湯のように少々高い位置からお湯が投入されていて、わずかに緑色に濁っている。加水量が少ないせいか湯温は少々高め。行幸湯(みゆきゆ)は無色透明で、湯口では硫黄臭が感じられた。こちらは加水量が多いせいか湯温はやや温め。見た目にも温度にも違いのあるお湯に浸かれるのは、牟婁の湯ならでは特権だ。