今回は青春18きっぷの残りを消化すべく駅から近い温泉を探しました。
中央東線上諏訪近くの片倉館、吾妻線袋倉駅近くの半出来温泉、東北本線東鷲宮駅近くの百観音温泉など候補に挙がったが、
週末は雪の予報なので降雪の恐れのない東海道線に決定。朝食は藤沢駅の箱根そばでかけそばをいただく。
下りの東海道線には少し時間があったので駅併設のコンビニで雑誌の立ち読みをして時間をつぶす。
相互リンク先のごくらく温泉が日経ZEROONEに載っているので嬉々として読む。
他にも見慣れた温泉のサイトが紹介されていて親近感を感じた。
東海道線はそこそこの乗車率であったが、小田原でほとんど下車してがらがらになる。
根府川付近の眺めはいつ見ても素晴らしい。特に鈍行列車の速度が海を眺めるのに丁度良い。
熱海からは浜松行きに乗換える、無事ボックスシートを確保する。
8両編成の内、後ろ4両は沼津で切り離しというアナウンスがあったので慌てて前4両に移動する。
丹那トンネルは鈍行列車で通過するとその長さを実感する。
三島付近で日が差してきたが、東田子浦付近からは曇天の為、富士山はほとんど見えなかった。
焼津駅前にはカジキマグロ?のモニュメントがあり温泉が湧いている。駅前には他にも小泉八雲の像やSL動輪などがあった。
駅前から健康の文字が見えたので行ってみると果たして目的の黒潮温泉焼津駅前健康センター(現 エキチカ温泉・くろしお)だった。
フロントで入浴料1,000円を払うと、下足ロッカー、脱衣所のロッカー、湯上りガウン、タオル、
バスタオルの入った青い袋を渡される。ちょっと高いかなあと思ったが、一日中いてもこの料金なら納得だ。
浴室の入り口を見ると清掃中につき、10時より入浴可能になるとの看板があった。
24時間営業だということだが毎日清掃している?ので好感が持てる。
ここは休憩所や宿泊できる部屋があり、食事も出来るので18きっぷ利用の旅人にはお薦めの温泉だ。
この日は地元の方々の宴会があるそうで10時前には休憩室へ向かう階段には長蛇の列が出来ていた。
混雑が予想されたのでシャワー付きカランにダッシュする。程なくしてカランは全て埋まってしまった。
泉質は食塩泉でかなりしょっぱい。泉温は51.1で源泉掛け流しで丁度いい湯加減になっている。
真ん中に大きな浴槽があり、奥にはジェットバスがある。左奥には売り物の薬湯風呂があり、大人気だ。
トウガラシ、オウバク、カンゾウ、ソウジュツ、チンピ、ショウキョウ、トウキ、ウイキョウの
八種類の薬草を使用しており、萬喜薬湯という商品にして売り出している。
お湯の色は濃厚な黄土色をしており温泉のようだが、やはり漢方薬の様な臭いがする。
3分くらい浸かっていると肘のあたりがぴりぴりしてきて、次第に全身がぴりぴりしてきた。
我慢できずに5分程でギブアップし、ジェットバスに浸かる。
ところがこれが大失敗。ひりひりしている肌に火に油を注ぐ形で焼ける様な感覚に襲われる。
すぐさま飛び出してしばらく休憩して、サウナへ向かう。
中はかなり広く作られており、TVがとりつけてあり、設備的にはここはかなり充実している。
せっかくのガウンを使おうと、一旦上がり、休憩スペースでビールを飲む。
再び湯につかりあっというまに11時間10分になる。
焼津から熱海行きの列車に乗り、体が温まった所でぐっすり眠ることが出来た。
熱海駅に着くとリゾート21が停車していた。伊東まで乗ってみたい衝動に駆られたが撮影するだけにした。
熱海駅のびゅうで観光案内の地図をもらい、まずは昔の軽便鉄道時代の蒸気機関車を撮影する。
13時を過ぎていたので昼食場所を探し、駅前のビルの2Fの中華料理屋にふらっと入った所、
熱海駅舎が真正面に望める、素晴らしいロケーションでばっちりなアングルで写真が撮れた。
かすかに電車が行き来する様も垣間見え、旅情を誘う。駅前はタクシーが多数止まっていたが、稼働率が極めて悪い様に見うけられる。
駅前こそアーケード付きの商店街が気を吐いていたが、商店街を抜けると時間が逆戻りした感じで
さすがに寂れているという印象は否めなかった。
南明ホテルの前には豆相人車鉄道(小田原〜熱海)熱海駅跡のレリーフがあった。
明治時代には馬車鉄道が全盛だったが、急カーブが多かった為人間が押すという究極の簡易鉄道だ。
芥川竜之介の「トロッコ」のモデルになった軌道と言われてみれば、
海沿いを東海道線に寄りそう様に走り、海岸沿いの急傾斜の難所もあったのでうなずける。
後に軽便鉄道に改軌され、熱海鉄道となる。熱海駅前にあった蒸気機関車は当時のものだそうだ。
熱海の手前の伊豆山では多くの乗降客があったそうで、今でも「蓬莱」を始めとする高級旅館で
知られ、走り湯を発祥とする温泉である。肝心の走り湯は枯渇してしまったが共同浴場が2軒あるので
機会があれば取材をしてみたいものだ。高級感が漂う地名だったので共同浴場の存在は意外だった。
さらに坂を降りると長寿の湯があり、サンビーチへの近道を行くと清左衛門の湯があった。
ここは清左衛門という者が馬を走らせこの湯壷に落ちて死んだという言い伝えがある。
最近特に観光客の客足が遠のいている熱海では、七湯(入浴はできないが)を整備している。
またサンビーチにはムーンテラスを作り、若者の誘致に積極的だ。
とは言え、温泉街には取り壊されていたり、廃業したホテルが多く、半分廃墟になりかけている。
サンビーチの斜め前のひもの屋のとなりに熱海七湯 河原湯があった。
熱海銀座は少々寂れていたが、老舗のひもの屋が目についた。
店先にひものが綺麗に吊るされたり、並べられており、結構観光客が記念写真を撮っていたりしている。
店の奥では食事処もあり、次回はここで昼食をいただくことにしよう。
スルガ銀行の横には昔、佐治郎という者の邸内にあった熱海七湯 佐治郎の湯(目の湯)があった。
熱海には共同浴場が数軒あるのだが、意外にも外来入浴できる旅館は一軒だけしかないそうだ。
福島屋旅館という外見はぱっとしない旅館が実はその旅館であり、300円と安く街の銭湯と化している。
田舎の親戚の家に来た様な受付の暖かな応対にも好感が持てた。
東北の秘湯にでも来たのかと思うほどあまりに古い作りなので、ここが熱海なのか不思議な気がする。
この思いはまず脱衣所の入り口から脱衣所に入り、ますます強くなった。
まず脱衣籠だが、プラスチックでできたものが一般的だが、昔ながらの脱衣籠に出会ったのは何十年振りであろうか?
そしてタイルの洗面台と年季の入った鏡はまだ現役であることに驚かされる。
そして何より圧巻なのは照明である。何と裸電球のみである。ここまで舞台装置が備わっていれば、浴室にも自然と期待が高まる。
浴槽は思いの外広く、ばりばりの掛け流しで、熱い湯が対流する心憎い仕掛けがしてあった。
壁面のタイルの装飾が大変凝った作りであり、往時の熱海の隆盛が偲ばれる。
奥にもうひとつ浴槽があったが、もう使われていないのであろうか?
やはり熱海の湯の絶対量が不足しているのか、湯口から出ている湯量が少なかったのが気にかかる。
わずかに塩辛い程度であり、ちょっと熱めであったが湯口から一番遠い所ではそれほど熱くはなかった。
東京近郊の秘湯と呼んで差し支えない名湯であり、レトロな雰囲気の点ではかなり気に入った。
湯上りに大きなみかんをいただき、新聞を読み、すっかりくつろがせてもらった。
福島屋旅館の隣りには坂町高砂屋の大木円蔵の庭から湧き出していた風呂の湯・水の湯があった。
ここは特に湯気が盛んに出た為、饅頭を蒸かしたり、酒を温められたという言い伝えがある。
雨が降ってきた為、残念ながら七湯巡りの続きは次回に回し、駅へと急ぐ。
帰りの熱海始発快速アクティーはロングシートであったが、トイレ横だが、唯一進行方向を向いたシート
を確保する。熱海では雨だったが真鶴付近から突然吹雪に変わった。