地蔵堂は文化5年(1808)の建立。葛城山常楽院という修験道の御堂で、大日堂や不動堂もあったが明治の神仏分離令で大日堂は壊され、不動堂は光泉寺へ寄進された。25センチほどの本尊の石の地蔵は木曾義仲の護持仏であると伝えられている。なお、木曾義仲については草津周辺にゆかりがあるという説もある。地蔵堂の前には地蔵湯畑、目洗い地蔵と共に、草津温泉独自の入浴法「時間湯」(湯長(ゆおき)の号令に従い、湯もみ、かぶり湯、3分間の入湯を行う)が今も行われている地蔵の湯があって、昔からの地蔵信仰と湯治が深く結びついている。安政年間に眼病を患っていた徳兵衛なるものの夢枕に地蔵菩薩が立ち、地蔵の湯で目を洗えば治癒するというお告げがあった。徳兵衛が地蔵の湯で目を洗うと眼病は治癒し、人々はこの湯で眼病を癒すようになり、その功徳をたたえ目洗い地蔵が建立された。[資料抜粋]地蔵堂と地蔵の湯(草津町教育委員会)・目洗い地蔵の由来説明文
取材年月日 2000年11月18日
草津温泉の中で一番のお気に入りである地蔵源泉は、歓楽的要素の濃い他のとは異なり地蔵堂が建てられいる。信仰と温泉の融合は各地に見られるが、こうした厳粛な気分にさせられる外湯というのは貴重な存在だ。新地蔵の湯はかつての地蔵の湯からは想像つかないくらい広くなり、浴室と脱衣場が一体化した作りで新しい外湯のモデルとなり得る作りとなっている。特筆すべき点は、浴室の床が全面板張りで表面に滑り止めの切り込みが施され、さらにお湯を流す小さな穴が開いていることだ。板の一部は取り外すことが出来るようになっているようなので、清掃の際には実際に取り外しているのかもしれない。コンクリート打ちっぱなしの上にすのこ状に板張りがされているのはよく見かけるが、美観とメンテナンスを考えて作られているのには感心した。
以前より浴槽の面積が広くなったので浴感が少々物足りない気がしないではないが、いつでも適温で入れるこのお湯は子供連れにとって貴重な存在だ。かつてはほとんど見られなかった湯の花が見られるようになったのは、浴室が明るくなったせいもあるのかもしれない。新装なった長寿の湯もそうだが、夜間は施錠されて午前8時〜午後10時しか利用出来なくなったのが残念だ。旧地蔵の湯のあったスペースには足湯が建てられ、広くて明るいオープンスペースになった。新しい草津温泉のランドマークとしての役割を担うにふさわしい好感の持てる外湯として万人におすすめのお湯だ。
取材年月日 2007年12月22日〜24日