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 長野電鉄車両名鑑

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1500系(モハ1501)

昭和26年9月 日本車輌製造 ロングシート/2扉

晩年は須坂〜屋代間をモハ1502とともに河東線を単行で走っていた。なお、モハ1501一両だけが現役を退いた後も籍だけは抜かれずに、たまのイベント列車等で走る姿を見せていたが、1999年3月31日付で除籍された。なお、除籍後は譲渡先を探しているが見つからない為か、須坂駅に留置されていた。

取材年月日 2001年9月19日

職場の先輩であったとらえもんさんからの情報で、1501が信濃川田駅構内に留置されているということを知った。2500系C1編成と共に留置されていたのだが、車両の脇に使用済みの古いレールが積んであったので、その上に乗って撮影を行った。開いていた窓から車内を覗くと、シートが一部撤去され始めていた。

取材年月日 2002年6月16日

2500系C1編成

クハ2551(元東急クハ5155)+ モハ2501(元東急モハ5035)

職場の先輩であったとらえもんさんからの情報で、既に廃車になっているはずのC1編成が信濃川田駅構内に留置されているということを知った。1501と共に留置されていたのだが、車両の脇に使用済みの古いレールが積んであったので、その上に乗って撮影を行った為、普段では撮影できないような高いアングルからの撮影も出来た。

2両固定編成のC編成のうち、C10(モハ2510、クハ2560)は、除籍後須坂長野東インターチェンジ近くの「トレイン・キャラリーNAGANO」(2021年3月14日閉館)に展示保存されていた。

取材年月日 2002年6月16日

2000系

 1957年〜64年(昭和32年〜39年) 日本車両製造 18m/クロスシート/2扉

長電の顔2000系は、昭和322年から39年にかけて特急用車両として製造された。丸みを帯びた車体が特徴。最古参の車両ながら100円の特急料金を稼ぐ為に現役で頑張っていた。2011年(平成23年)2月に東日本旅客鉄道253系の譲受された2100系が営業運転を開始したことにより、全ての定期特急運用から離脱。2012年(平成24年)3月、惜しまれながら全ての運用から退いた。

取材年月日2001年9月19日、2007年12月30日

OSカー0系モハ2

昭和41年(1966年) 日本車輌製造 20m/ロングシート/4扉

地方私鉄では初めての鉄道友の会ローレール賞受賞した。朝の長野線用に通勤時の混雑緩和のために20メートルの4扉で作られた。OSカーとはOfficemen & Students Carの略称。

取材年月日 2007年12月30日

3500系

営団地下鉄からの譲渡車両 営団時代は「マッコウクジラ」と呼ばれ親しまれた。長野オリンピック直前に、車両保守の合理化と輸送力増強を目的として2500系は営団地下鉄3000系を改造した3500系に置き換えられた。須坂駅に留置されていた3500系は長電仕様に塗装がされていない為、部品取り用と思われる。

1000系

小田急からの譲渡車両。小田急時代は10000形のハイデッガーのロマンスカーとして親しまれた。鳴り物入りでデビューしたのだがバリアフリーの流れに逆行する為、50000形VSEのデビューに伴い2編成が余ってしまうということで2006年4月に長野電鉄に譲渡された。老朽化著しい2000系に代わり、ドル箱の長野〜湯田中のA特急として「ゆけむり」と名付けられた。

取材年月日 2007年12月30日
特急しが仕様2000系
特急しが仕様2000系
1500系/2500系
1500系/2500系
2000系
2000系
OSカー0系モハ2 1
OSカー0系モハ2 1
OSカー0系モハ2 2
OSカー0系モハ2 2
OSカー0系モハ2 3
OSカー0系モハ2 3
信濃川田駅構内の3500系
信濃川田駅構内の3500系
屋代駅構内の須坂行3500系
屋代駅構内の須坂行3500系
須坂駅構内の木島行3500系
須坂駅構内の木島行3500系
大室駅駅構内の須坂行3500系
大室駅駅構内の須坂行3500系
信州中野駅構内の下り1000系
信州中野駅構内の下り1000系
湯田中に到着した1000系
湯田中に到着した1000系
湯田中行
湯田中行
長野行
長野行
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